カテゴリ: 部活もの

 ばんっ!
「――わがカバディ部は、存続の危機にあるっ!」
 黒板を叩きながら、彼女は怒鳴りました。
「部じゃなくて同好会です、剣崎(けんざき)先輩」
 僕は、手元の文庫本から目を上げました。教壇(きょうだん)に立つ、小柄な女子の先輩と目が合います。
「……それと、その台詞を聞くのはもう五十一回目です」
 剣崎先輩の背後の黒板の、『第五十一回・カバディ部査定対策会議』という文字を見ながら、僕は突っ込みました。
 雨がしとしとと降る、六月下旬のある日。放課後の空き教室の一つで、僕は教卓(きょうたく)のすぐ前の席に座っていました。
「五十一回だ、立石(たていし)くん!」
 剣崎先輩は僕の名字を呼びながら、アーモンド形の吊り目で睨(にら)んできます。
「――今年度が始まって実に五十一回、我々は成果なき会議を繰り返してきたんだぞっ! このままでは学期末の査定も通らず――わが部は正式な『部』への昇格もできない! よって予算も練習場所も得られない! そんな部に、未来の部員など集まるまいよ!」
 剣崎先輩は、半袖のセーラー服から伸びた筋肉質な腕を振りながら地団太を踏みました。両耳の上に作った短いツインテールが、ぴょこぴょこと揺れます。
「大丈夫ですよ、先輩。来年先輩が卒業しても、あと二年は僕一人で細々と続けますから」
 そう言って僕は、読みかけの文庫本に目を戻そうとしました。しかし剣崎先輩が教卓から身を乗り出してきて、半強制的に目線を上げさせられます。
 目の前のふっくらした丸顔から逃げるように、身体を反らしていると、
「『細々と』じゃ、駄目なんだっ! 十分な仲間をそろえて試合をして、カバディの素晴らしさを一人でも多くの人に知ってもらい、そして後輩たちに受け継いでもらう! それなくして、何のための部活か!」
 至近距離で怒鳴られて、僕は慌てて耳を塞ぎましたが、
「……放課後、のんびりする口実?」
 先輩から目を逸(そ)らしながら、僕は答えました。
 剣崎先輩は身体を起こし、ただでさえ大きく張り出している胸を張ります。
「――そんな舐めた態度なら、辞めろ! 今すぐ辞めろっ、立石圭護(けいご)!」
 僕をびしっ! と指差しながら、彼女は半泣きで怒鳴りました。
 しかし、僕は口の端を吊り上げます。
「いいんですかぁ、辞めちゃって? 僕がいなきゃ、先輩本当に孤立無援ですよ?」
 僕が突っ込むと、剣崎先輩はがっくりと肩を落とします。
「悔しいが、君の言う通りだよなぁ……。そもそも、君が入部した理由だって――」
「こんにちは」
 凛(りん)とした声が、僕らの会話に割り込んできました。僕も剣崎先輩も、身震いしてその声の方向に目を向けます。
 教室の入り口に、長身でスレンダーな二年生女子が立っていました。柔らかい印象の垂れ目を笑みの形にして、僕らに向けています。
「こ、こんにちは……杜生(もりお)さん」
「や、やあ……早苗(さなえ)姉(ね)え」
 僕らは、彼女にぎこちなく声を掛けました。
「圭護くん、部活の調子はどう?」
 早苗姉えは、腰まで届くツーサイドアップの髪を揺らしながら教室に入ってきます。彼女が一歩一歩近づくたびに、僕と剣崎先輩の身体の震えが強くなっていく気がしました。
「い、いつも通りだよ早苗姉え! カバディ部、いや同好会の存続と繁栄のために、さっきも白熱の議論をしてたところだよ! ――そうですよね? 剣崎先輩!」
 僕が話を向けると、先輩は一度びくっ! と身震いしてから、慌ててうなずきます。
「も、もちろんだとも! いやあ、煮詰まりすぎて名案も出てこなくて、困った困った!」
 剣崎先輩は腰に両手を当て、引きつった笑顔を作りました。
「ふーん……」
 僕の隣にまで来た早苗姉えは、すっと目を細めて、僕と剣崎先輩と――あと、僕の手元の文庫本とを見比べます。そしてにっこりと微笑み、僕の肩に手を置きました。
「まあ、部活も週末の今日で一区切りだよね。来週は期末テストだから――ちゃんと勉強しようね、圭護くん。ふ・た・り・き・り・で」
 早苗姉えが強調した言葉を聞き、僕は奥歯をがちがちと鳴らしました。
「も、杜生さん。君も生徒会長として忙しいだろう。あまり長居は――」
「ご心配なく、剣崎先輩。ちゃんと仕事の合間を縫(ぬ)って出てきましたし――圭護くん、もとい部活の様子を見るのも、わが校の生徒会長の仕事だと考えてますから」
 横から割り込んだ剣崎先輩の引きつった笑顔に対し、早苗姉えの笑顔はあくまで柔らかいものでした。
「だから、剣崎先輩……」
 そして早苗姉えは、両目をくわっ! と見開き、
「――圭護くんを、堕落(だらく)させないでくださいね?」
 剣崎先輩を一睨みして、教室を出て行きました。
 早苗姉えの背中が教室の出入口から消えて、一分ほどの間、僕らはしとしとと降り続ける雨の音を聞いていました。
「……君が入部したのは、あの幼馴染から逃げるためっていう、ろくでもない理由なんだよな」
 剣崎先輩は、力なく教卓に手をつきながら、長く重いため息まじりに言いました。彼女の顔は、今は十歳ほど老けて見えます。
「……逃げるなんて、人聞きが悪いですよ。ただ、早苗姉えに甘え続けたらいけないと思っただけです。僕ったら、昔からこんな舐めた性格だったから……。早苗姉え、中学の頃にはスパルタ方式でみっちりと勉強教えてくれて……」
「立石くん?」
 僕が笑顔を作りながら語ると、剣崎先輩は教壇を降ります。
「僕が両親の勧めで入った部活にも、マネージャーとして一緒に入ってくれて……しっかり監督してくれて……」
「立石くん、大丈夫か?」
 剣崎先輩は僕の隣から、心配する言葉を掛けてきます。
「……そんな早苗姉えと両親に尻を叩かれ続けたおかげで、僕は早苗姉えと同じレベルの高い高校に入れたし、部活だって三年間辞めずに続けられたんです。あ、それと早苗姉え以外の女の子をじろじろ見てたら、満面の笑顔で注意してくれましたね。おかげで不埒(ふらち)な恋の一つもしたことがありません」
「おい立石くん? しっかりしろ!」
 剣崎先輩は、僕の肩を揺さぶってきました。
「……そんな早苗姉えは、今じゃ僕のお嫁さん候補として両親公認。僕が道を誤らないように、それと万一僕が駄目人間になったら養ってくれるようにですね。いやあ、僕って幸せ者だなあ」
「立石くん! 私の声が聞こえるか? 目が死んでるぞ!」
 剣崎先輩は、金切り声を上げながら、僕の頬をぺしぺしと叩いてきました。さっきの早苗姉え登場に精神を削られた先輩を元気づけようと、僕は精一杯の笑顔を作ったつもりですが、おかしいですね。
 ともかく僕は、真顔を取り戻して、剣崎先輩に向き直ります。
「……だから僕は、早苗姉えが入らなさそうなマイナー同好会に入ったんです。彼女は彼女で、僕を養えるいい仕事に就(つ)けるように、高校の頃からポイント稼ぎしたいんです。そのために生徒会の仕事やる時間を、カバディなんてマイナースポーツに割(さ)くわけにいかないでしょ?」
「マイナーマイナーうるさいっ! カバディのメジャー化は無理でも、せめて十分な部員を集めて、高校生のうちに一度は試合をしておかねば――この剣崎つむぎ、死んでも死に切れんっ!」
「そうですね先輩。頑張りましょう」
 涙目で叫ぶ剣崎先輩に対し、僕は再び文庫本に目を落とそうとしましたが、
「立石くん! 君にとっても、他人事じゃないだろう! そんな舐めた部活ぶりも、いい加減ぼろが出てきてるんじゃないのか? 杜生さんにも、勘付かれてたようだしなっ!」
 剣崎先輩の言葉に身震いしながら、顔を上げました。
「……そうですね。最近、両親にも部活の内容を聞かれるようになってきて……。『今日はカバディの有効な戦術について議論した』とか『今日はカバディの試合動画を見た』とか『今日は本場のカバディを見るために海外旅行の計画を立てた』とか、会議の内容を捏造(ねつぞう)するのに苦労してたところです」
 僕がため息まじりに愚痴ると、剣崎先輩はばんっ! と僕の前の机の天板を叩きます。
「そうだろう! 練習らしい練習、試合らしい試合の一つもせねば、学校も君のご両親もわが部の活動の実態を認めまい!」
 剣崎先輩は、眉を吊り上げながらハイテンションで怒鳴りましたが、
「だいたい、校内で部員が集まらないにしても、校外で練習相手探さなかったんですか?」
「何度か話しただろう? ……学校の外にさえ、カバディやってる大学生や社会人のサークルとかないんだよ」
 僕に突っ込まれると、肩を落としながらローテンションでぼやきました。
「そうですか……。僕だっていい加減、少しでもカバディの勝負をしないと、早苗姉えも両親も黙ってくれないのに……」
 僕も一気にテンションを落とし、頭を抱えます。そして僕は、
「ああもう、いっそ――」
 両手で頭をばりばりとかきながら、
「他の部と、勝負できたらいいのに」
 ふっと浮かんできた、でたらめな思い付きを口にするのです。
「……そ」
 剣崎先輩の震える声を聞き、
「そ?」
 僕は顔を上げました。すると彼女は、僕の両肩をがしっ! と掴んで、
「――それだよっ! 立石くん!」
 目を爛々(らんらん)と輝かせながら、満面の笑みを僕に向けました。

第一試合 カバディ対ゲートボール


 僕と剣崎先輩との出会いは、三か月前。僕の入学式の日に遡(さかのぼ)ります。
 高校三年間も早苗姉えと一緒、というか一生早苗姉えから離れられないだろうなぁ……という悟りを春休みのうちに開いていた僕は、重い足を引きずりながら昇降口を出ました。学校の敷地内の、桜の花びらが散らばるアスファルトを見ながら、早苗姉えの待つ校門まで歩きます。
 僕の周りで、同じく校門に向かう同級生や上級生たちが、明るく弾んだ声でこれからの高校生活への期待などを語り合っていました。
 僕らの行く道を挟み込むように、部活の勧誘をする先輩たちが並び、自分の部の名前やセールスポイントなどを黄色い声で叫んでいます。もっともそのときの僕の最大の関心は、地面とのにらめっこにあったのですが。
 その中で、
「――っ! カバディ部に、入部をお願いしますっ!」
 一際(ひときわ)甲高い声が、周りの雑談の声や勧誘の声を切り裂いていました。その声を中心にして、かすかなざわめきも聞こえてきます。
 僕がのそりと顔を上げると――
「仲間とのチームワークも、一人で複数の敵と戦う勇気も養える、素晴らしいスポーツなんですっ! どうか入部してくださいっ! お願いしますっ!」
 涙声で叫ぶ、一人の女子の先輩がいました。小柄ながらも、しっかりと肉の付いた身体をしています。特に肉付きのいい胸に、彼女が抱えているのは――
 電話帳ほどの分厚さの、チラシの束でした。「全校生徒に行き渡らせてやるっ!」と言わんばかりの、怖いぐらいの気迫を感じます。
 彼女が腕をぴんと伸ばして突き出してくるチラシや、くしゃくしゃになった泣き顔、そして耳をつんざく叫び声のせいで、そばを通る生徒たちがみんな彼女を避けていきます。
 あまりに必死なその姿に僕は息を呑(の)み、周りの人にならって彼女を避けようとすると、
「――もう部員が、私一人しかいないんですっ!」
 彼女のその言葉を聞いて、ぱたりと足を止めました。そして彼女に近づきます。
「このままじゃ、来年には廃部なんですっ! だからどうか、どうか……!」
 金切り声を上げ続けていた彼女も、寄ってきた僕を見て言葉を切りました。
「……カバディって、そんなにマイナーなんですか?」
 僕が聞くと、彼女は激しく首を縦に振ります。
「そうなんですっ! 楽しいスポーツなのに、みんな知らなくって……! うちの部だって、昨年度までいた部員はみんな卒業するか辞めるかしちゃって……! このままじゃこの学校にも、ひいては日本全国にも、カバディが根付くチャンスが……!」
 彼女は涙をぼろぼろと流しながら、初対面の僕にいきなり熱弁してきます。ついでに彼女が見せてきたチラシには、劇画風の絵で、何やら姿勢を低くして睨み合うマッチョな男たちが迫力たっぷりに描かれていました。
 さりげなく詰め寄ってきた彼女を、僕は両手で止めてから、
「……分かりました。入りますよ、カバディ部」
 さらっと答えました。
 そのとき彼女――剣崎先輩が見せた涙交じりの笑顔は、その春咲いたどの桜よりまぶしく輝いていました。


 その剣崎先輩は、「他の部と勝負しよう」という僕の思い付きを聞くなり、空き教室から僕を引っ張り出しました。
「ちょ、ちょっと剣崎先輩! どこ行くんですか!」
 彼女に手首を握られ、強い力で引っ張られるままに、僕は廊下を歩きます。
「君のアイディアを、採用したのだよっ! つまり勝負の相手を探してるんだっ!」
 元気いっぱいな声で僕に答えながら、剣崎先輩はずんずんと進んでいきます。
 放課後の廊下や教室には、いろいろな活動をしている人たちがいました。そして、
「頼もうっ! 我らがカバディ部と、勝負しないかっ?」
 剣崎先輩は、満面の笑みとともに彼らに声を掛けていきました。
 しかし――


 例えば、空き教室でポールダンスをしていた、三人ほどの女子に声を掛けたとき。
「カバディと勝負? うち、ポールダンス同好会なんだけど。見て分かんない?」
 教室の天井と廊下に突っ張ったポールに上下逆さまに掴まっている女子に、剣崎先輩はそう言って門前払いされました。


 例えば、あるクラスの教室で、机を端に寄せて作ったスペースで社交ダンスをしている男子二人に声を掛けたとき。
「いや、うち勝負とかする同好会じゃないんで……」
「それよりも、俺たちだけの世界に入ってこないでくれますか?」
 そう言って男子二人は、手をつないでくるくると回り続けます。僕も剣崎先輩も、吐き気をこらえながら立ち去りました。


 例えば、とある階の廊下で、掃除の時間でもないのに雑巾がけをしている、四人ほどの男女に声を掛けたとき。
「一緒に雑巾がけしてくれるなら、いいですよ。私たち、雑巾がけダッシュ同好会と」
「そうそう。俺たち、自主的に校舎を綺麗にすることに、命かけてるんで」
 そう言った女子と男子は、バケツの水に浸けた雑巾を絞るなり、廊下の端目がけて勢いよく雑巾がけを開始しました。


「どうしてうちの学校、こんなにおかし……もとい、個性的な同好会ばかりなんですか?」
 僕は、まだ剣崎先輩に引っ張られ続けていました。今は、二年の教室がある階に来ています。
「わが校の校風は知ってるだろう? 大学への推薦(すいせん)入学を奨励(しょうれい)するゆえ、部活の実績を高く評価する。だから飛び抜けた実績の欲しい連中が、マイナーな同好会を乱立させてるんだが――」
「所詮マイナーだから、実績とも言えないしょぼい活動を、少人数で細々とやるしかないんですね。僕たち、カバディ同好会も……」
 僕はため息を吐きましたが、
「だから人数と活動実績をそろえる手段を、君のアイディアから思いついたんじゃないかっ! 諦めず探すぞっ!」
 拳を振り上げて歩き続ける剣崎先輩に、「だから、どうやって……」と僕が突っ込んでいると、
「めんどくさいですよぉ、関元(せきもと)くん」
 そんな間延びした声が、近くの教室から聞こえました。
「しかし門脇(かどわき)さん。向こうのほうとも今日練習する約束をしてるし、ドタキャンするわけにもいかないよ」
 間延びした声に、落ち着いたよく通る声が答えました。
 僕たちは足を止め、声が聞こえてきた教室をのぞき込みました。
「きっと大丈夫ですよぉ。向こうもそれなりに人生経験のあるかたがたですから、一、二回のさぼりぐらい大目に見てくれますよぉ」
 そう言いながら、椅子に座る一人の女子が、缶の緑茶をすすりました。彼女は眼鏡をかけていて、その奥の目は、開いているのか閉じているのか分からないほど細められています。彼女の後ろ髪は、うなじの位置で一つのお団子にまとめられていました。
「……仕方ない。電話を入れて、上手く言っておくよ」
 彼女のそばに立つ一人の男子が、携帯を取り出しました。髪を短く刈り込んだ彼は、逆三角形のシャープな顔立ちと、僕より一回り大きい筋肉質な身体つきをした、いかにも体育会系なイケメンです。
 そこに、
「頼もうっ! 我らがカバディ部と、勝負しないかっ?」
 剣崎先輩が、ずけずけと踏み入りました。もちろん、僕を引っ張りながら。一年生の僕と、三年生の剣崎先輩とで、二人して違う学年の教室に入ります。
 教室にいた二人は、驚きの顔を僕らに向けてきました。当然の反応です。わけの分からないことを叫びながら、先輩が突入してきたら。
「勝負? めんどくさそ――」
 眼鏡の女子を、イケメンな男子が後ろ手にかばいます。
「失礼ながら、ご用件をもう少し詳しく伺(うかが)えますか? 先ほど、勝負と聞こえましたが」
 彼は切れ長の吊り目を僕らに向けながら、はきはきとした声で話しかけてきました。
「私はカバディ部部長、三年二組の剣崎つむぎだっ! こちらは部員の、一年二組の立石圭護くん! ――君たちも、人数と活動実績に困ってる同好会だろう? 両方をそろえるチャンスがあるぞっ! 私たちと掛け持ちし合って、違う競技で勝負すればなっ!」
 相手が話を聞いてくれたので、剣崎先輩は調子に乗って一気にまくし立てました。その図々しさ、見習いたいです。
 イケメンな男子が、すぐそばに寄ってきた僕らへの反応に困っていると、
「もう少し、詳しく聞いてみましょうよぉ」
 眼鏡の女子が、彼の袖を引っ張りながら立ち上がりました。彼女の身長は女子の平均程度で、体格は中肉中背。ほけーっと開いた口元が、ほんのりと笑みの形になっています。
「……こちらはゲートボール同好会部長、二年三組の門脇珠代(たまよ)さん。俺は副部長、二年二組の関元拓馬(たくま)です」
 男子の先輩がはきはきと簡潔(かんけつ)に、彼女と自分自身とを、掌で指しながら紹介しました。
「ああ、すみませんねぇ関元くん。自己紹介は、部長の私の仕事なのに」
 門脇先輩は、関元先輩に顔を向け、のんびりとした口調で謝りました。
「……気にしないでくれ。君の補佐が、俺の仕事だ」
 関元先輩は目を細めながら、一つ咳払いをしました。気のせいでしょうか? 彼の頬は、少し赤くなっているように見えます。
「……それで、剣崎先輩。俺たちと――ゲートボールと、その……カバディとで、勝負をしたいと聞きましたが」
「そうだ。さっき言った通りだが?」
 関元先輩に疑問を向けられ、剣崎先輩は首を傾げました。
「……ゲートボールのルール、教えてもらえますか? えっと……関元先輩」
 僕はゲートボール同好会のほうに、質問を向けます。門脇先輩には素早い受け答えを期待できなそうなので、関元先輩を名指しで。片眉を上げた剣崎先輩が「立石くん?」と声を掛けてくるのは、ひとまず無視です。
「……スティックでボールを打って、フィールド上のゲートに順番に通してゴールを目指す」
 関元先輩は、眉をひそめながらも、つまり未だに話が飲み込めない様子を見せながらも、質問に答えてくれました。
 僕は一つうなずき、
「……それと勝負するって言っても、カバディのルールって――」
 僕は、顎に指を当てて思い出します。


 カバディの基本的なルールは、こうです。七対七程度の人数で二つのコートに分かれ、攻撃側選手一人――レイダーと言います――が防御側のコートに入って、防御側選手――アンティと言います――をタッチしてから自陣に戻ることを目指します。レイダーはタッチした人数分だけポイント、アンティもレイダーを捕まえれば一ポイント。
 僕が入部したばかりの頃も――
「ほら立石くん、アンティの基本的なフォーメーションを見ろっ!」
 隣に座る剣崎先輩に肩を揺すられ、空き教室に据え付けのパソコンの前で舟をこいでいた僕は目を覚ましました。画面の中では、カバディの試合動画が再生されています。
 ドッジボールのそれのように二分されたコートで、レイダーが敵陣に攻め入っていました。対して六人程度のアンティたちも、二人ずつ手をつないで、レイダーを遠巻きに半円状に取り囲んでいます。
 コートをあちこちにぴょんぴょんと跳び回るレイダーの手が伸びてくるたびに、アンティたちは波が引くようにさっと逃げて――
「起きろっ! 今のレイダーのファインプレーを見ろっ!」
 またうつらうつらしていた僕を叩き起こし、剣崎先輩は動画を少し前に戻します。レイダーがコートの中間線近くで、一斉にたかってきたアンティたちに捕まっていました。しかし彼は倒れ込みながらも、自陣側の床に手を伸ばして触れます。
「さっきので三点! ……な風に、捕まってもレイダーは得点でき……っ! こういう諦め……神が養えるから、……ディは――」
 熱弁する剣崎先輩の声がだんだん遠くなり、ついでに目の前の画面もぼんやりしてきて、
「おい立石くん、聞いてるかっ?」
 そんな調子で、僕は何度も彼女に叩き起こされながら、試合動画を見ました。
 その後剣崎先輩と、実際に練習もしてみましたが――
「カバディ、カバディ、カバディ、カバディ……」
 僕はその意味不明な言葉を唱えながら、少し腰を落として剣崎先輩と睨み合っていました。
「声が小さいぞっ、立石くん!」
 夕日が差し込む空き教室で、剣崎先輩は僕に怒鳴ります。
「キャントは審判に聞こえる程度の、最小限の声量でいいとは言ったがなっ! 目の前の私にさえ聞き取りづらいぞっ!」
「仕方ないでしょ。僕ら二人きりで、審判いないんですから」
 僕が言い返すと、剣崎先輩はがっくりと肩を落としました。ちなみにキャントとは、「カバディ」と連呼することです。これを続けていないと、レイダーは攻撃できないのです。
「……まあいい、続けよう。今日はあくまで、ルール説明だからな」
 剣崎先輩は気を取り直して、僕に向き直ります。キャントを中断したことも、大目に見てくれたようです。
「……カバディ、カバディ、カバディ」
 僕は再びキャントをしながら、剣崎先輩に手を伸ばします。何度目かに伸ばした手が――わざと触れさせてくれたのかもしれませんが――、剣崎先輩の腕に触れました。
「カバディ、カバディ!」
 僕は身をひるがえして、後ろに逃げました。すぐに剣崎先輩に、後ろから抱き付かれます。
「あーあ……」
 胴体を拘束する硬い筋肉と柔らかい脂肪とを、なるべく感じるまいとしながら僕がため息を吐くと、
「諦めるなっ! まだ自陣に戻るチャンスはあるぞっ!」
「はいはい。……カバディ」
 剣崎先輩にどやされ、僕は足元にテープで引いたラインに足を延ばしてタッチしました。さっき動画で見た通り、相手に捕まっても自陣に指一本でも戻れば、自分にタッチした人数分得点できます。
「よし、一点だ立石くん! その調子だぞっ!」
 僕を解放した剣崎先輩は、笑顔を向けてくれました。彼女は褒(ほ)めて伸ばす方針の人らしく、そこはありがたかったのですが、
「……空しいな、立石くん」
「そうですね、剣崎先輩」
 二人きりのわびしい部活に、剣崎先輩は肩を落とし、僕は淡々と同意するのでした。


 僕はカバディのルールを、ついでにカバディ同好会の闇の歴史を思い出してから、
「――ゲートボールと、ルール違い過ぎますよ! どうやって勝負するんですか!」
 剣崎先輩をなじりました。それにも動じずに彼女は、
「なんとかするさっ! だいたい、もともとは君のアイディアだろう!」
 僕の胸に人差し指を当てて、反論してきました。
「まったく……。どうしてそんな、無理やりな勝負でもしたいんですか?」
「人数だけじゃ、同好会が部に昇格できないからだっ! 当たり前だろう!」
 僕がため息まじりに聞くと、剣崎先輩が唾(つば)を飛ばしながらまくし立ててきます。
「えっと……立石くん、君は一年生か。一応知ってると思うが……幽霊部員だけで必要な人数、五人以上をそろえる、なんてせこい手で同好会が部に昇格できたら、そんな連中に無駄な予算や練習場所を配分することになるだろう? だから活動の実態の証明が必要で、それは学期末ごとの生徒会の査定で評価される。だが、俺たちゲートボール同好会も、学校内での活動は全然……」
 関元先輩は説明してから、悔しそうに拳を握りました。
「『だから人数も実績も今学期中に稼ぐぞ!』って剣崎先輩が息巻いてたわりに、僕らも無残な現状があるわけですしね」
 僕は先輩たちに確認してから、首を横に振りました。
「その通り! だが私たちで勝負すれば、きっと立派な活動実績になるっ! それもお互いが好きな、お互いが極めた競技を同時にやることでだっ! なあ門脇さん!」
 剣崎先輩は、満面の笑みを門脇先輩に向けました。
「そうですねぇ……。ゲートボールと、そのカバディ? というのを掛け持ちして、両方極める必要がなさそうで……楽そうですねぇ」
 門脇先輩は、のんびりした口調でしゃべりながら、にへらっと笑いました。
 しかし、僕は一つ引っかかりを覚えます。
「でも確か、ゲートボールって……。よく公民館とかで、お年寄りの方たちがやってるイメージがあるんですが。学校の外でできるだろうに、わざわざ部に昇格する必要や、僕らと試合する必要、あるんですか?」
 僕が首を傾げながら尋(たず)ねると、関元先輩が一つ咳払いをします。
「その……。確かに俺たちは、近隣の公民館で、お年寄りの方々と一緒に練習や試合をしてた。だが、できたら部に昇格して、校内に練習場所を確保したい。そのほうが、門脇さんの、その……。負担が減るんだ」
 関元先輩は、やや歯切れ悪く説明します。
「ええ。……放課後にわざわざ校外まで移動したり、年配の方々とアポを取ったりするのが、めんどくさくって」
 門脇先輩は眉根を寄せながら、頬に手を当てました。
「だから私たちと君たちとが、あと一つどこかの同好会と掛け持ちし合って部に昇格すれば、君たちは学校でもゲートボールができる! そして私もカバディができて、立石くんも杜生さんにうるさく言われない! どうだ、みんなが得する話だろう?」
 剣崎先輩は両手を腰に当て、どや顔を僕に向けてきます。
「そうですね。……で、肝心の勝負の方法は?」
「心配するなっ! これから考えて、今日中に試合ができなきゃ土日にやるさっ! とにかく、期末テストの前に一つ、活動実績を作るぞっ!」
 剣崎先輩は自信満々の笑顔で言い切って、拳を振り上げました。
それに応じて、門脇先輩が「おー」と間延びした掛け声とともに、小さく拳を上げます。関元先輩も、無言で彼女と同じ動作をしました。
「……ああもう、やりますよ! 僕だって、やるしかないですからね!」
 僕も彼女らに続き、やけくそ気味に拳を振り上げます。
 暗い窓の外では、今もしとしとと雨が降っていました。

 みんなして意気込んだはいいものの、まずは二つの競技で統一したルールを作る必要があると、僕らは結論しました。つまり、まずカバディとゲートボールとのそれぞれのルールを把握しないと話になりません。
 僕らはネットで調べものをしたり、分からないところを教え合ったりしました。
 門脇先輩が席についてのんびりとお茶をすする一方、教壇に立つ関元先輩が、
「……こうして、ゲートを順番に通過していく。ゲートを通過するたびに一点、ゴールポールに当てると二点獲得して上がりです」
 黒板に書いた図を指しながら、説明してくれていました。大きな横長の長方形の中に、番号が振られたコの字型が三つあり、中央には「G」のマークがあります。
 長方形の右下辺りには「スタート」と書かれていて、そこから少し上に行ったところには「1」の番号が振られたコの字型――これがゲートらしいです――があります。そのゲートから左斜め上、長方形の上辺近くには「2」のゲート。そして中央の「G」のマークの下、長方形の下辺近くには「3」のゲートがありました。
 さっきの説明で、関元先輩の指先がゲートを振られた番号の順番通り、逆時計回りにたどり、最後に「G」のマークで止まっていました。
 席に座る剣崎先輩はうんうんとうなずきながら、彼女の隣の僕は舟をこぎながら、関元先輩の説明を聞いています。
「関元くん、継続プレイは?」
「……今から説明するよ、門脇さん」
 首を傾げながら、のんびりと尋ねた門脇先輩に、関元先輩はため息まじりに答えました。
 彼が黒板に何か絵を描いている間、僕は意識を失いかけていて、
「起きろっ!」
「ふげっ!」
 剣崎先輩による、こめかみへのチョップで起こされました。
 顔を上げると、ボールがゲートをくぐっている絵と、ボールがボールに当たっている絵とが、黒板に描かれています。
「……ボールがゲートを通過したり、他のボールに当たってスパーク打撃が成立したりすれば、もう一回打撃ができます。スパーク打撃というのは――」
 関元先輩の説明を聞きながら、僕はまた寝入りました。そしてまた、こめかみへのチョップ。
 一通り関元先輩のルール説明を聞いた後、空き教室に据え付けのパソコンで、僕らはカバディやゲートボールの試合の動画も見ました。
 ゲートボールでは、老若男女様々な人が、関元先輩の説明通りのフィールドでボールを打っていました。味方のボールや敵のボールを弾いて都合のいい場所に移動させたりして、なんだかゴルフとビリヤードが融合したような感じでした。
 ……絵面的には地味なその試合を見ながらうつらうつらして、僕はまた剣崎先輩に叩き起こされたのでした。


 そうこうしているうちに遅くなったので、今日はお開きです。
 慣れない知識を詰め込んで、脳みそが疲れました。帰りのバスの中でも舟をこいでいると、
「痛てっ!」
 頬をつねられて、起こされました。
「じゃあ圭護くん。試験範囲の復習、しよっか?」
 二人席で僕の隣に座る早苗姉えが、微笑みかけてきました。
「あ、ああ早苗姉え! もちろんやるよ!」
 僕は震えながら、鞄に手を入れます。そして教科書を引っ張り出すと、一枚のルーズリーフが一緒に出てきました。
「……何、これ?」
 僕の脚の上に落ちた紙を、慌てて拾おうとした僕より先に、早苗姉えが手に取ります。
「えっと、それは――」
 僕はルーズリーフを取り返そうと手を伸ばしましたが、それは早苗姉えの微笑みに止められました。
「なになに……。ゲートにボールを通過させるたびに一点、ゴールポールに当てれば二点。ゲート通過でもう一回打てて、ゴールすると上がりで……」
 早苗姉えは、僕の書いたメモ書きを読み上げていきます。僕は字が汚いのですが、それでも読んでくれる早苗姉えは、僕のことをよく分かっています。ありがたくて涙が出そうです。
「圭護くん……。これは、何の勉強?」
 早苗姉えが、再び微笑みを向けてきます。
 僕は身震いして、彼女が返してくれたルーズリーフを慌てて鞄にしまいました。
「い、いやあ、その……。明日カバディ同好会で、ゲートボール同好会の人たちと、ご、合同で活動することになってさ……。活動内容を、おさらいしてたところだよ。だ、だから早苗姉えと試験勉強できなくなって、ざ、残念だなぁ」
 僕は笑顔を作りながら、だけど口元の引きつりを感じながら、今からやろうとしていることをぼかして説明しました。おまけに最後には「本当は早苗姉えと勉強したいんだけど……」なんてニュアンスのリップサービスも加える僕は、気の使える紳士ですね。
「ふーん……」
 早苗姉えは、すっと目を細めてから、
「試験勉強に使える日を、潰してまでやるくらいだから……。私やおじさんやおばさんにも、内容を言えるよね? 圭護くん」
 にっこりと、笑いました。
 早苗姉えの優しい笑顔に打ち震えて、僕は正直に白状します。明日の「活動内容」――僕のでたらめな思い付きから始まった、他の同好会との試合――について。
 早苗姉えは、うんうん、とうなずきながら、僕の話を聞いてくれました。そして、
「――その試合、私が見に来てもいいよね?」
 彼女が笑顔のままで言った言葉に、僕は逆らえないのでした。


 そして土曜日に登校し、午前の補習授業を終えて、午後。
 僕らは柔道場で、輪になって座っていました。昨日のうちに、柔道部が使う予定はないことをそっちの顧問の先生に確認し、使用許可も取ってあります。
「その『キャント』をしている間……。『カバディ』と連呼している間、何度でもボールを打てるというのはどうですか? ショットの正確さでこちらに、息の長さでそちらに分があると思いますが」
 関元先輩の提案を受け、
「駄目だっ! キャントだけがカバディじゃないっ! 逃げるか捕まえるか、食うか食われるかの緊張感ある攻防! それがカバディの醍醐味(だいごみ)! それなしに――」
 剣崎先輩が、ばんっ! と畳を叩きながら関元先輩に詰め寄り、
「その逃げるか捕まえるかの部分を、どこに入れるかですよね……」
 早苗姉えが眉根を寄せながら、後ろ髪を撫(な)でつけました。
 白熱した議論を続ける剣崎先輩と関元先輩――というか、主に熱くなっているのは剣崎先輩一人ですが――と、二人をなんとか調整しようとする早苗姉えを見ながら、
「……どうでもいいから、早く決めてくださいよぉ」
 僕は剣崎先輩の左隣で、あぐらを組んだ片膝の上に頬杖をついていました。もう片方の膝の上で、思わず指をとんとんします。
 早くルールが決まってくれないと今日も試合ができず、下手すれば明日もできないかもしれない。そして試験前に活動実績を作れず、早苗姉えの目が厳しくなるのを避けられない――そんな焦りが募(つの)ります。
「皆さん、熱くなってますねぇ。頭を冷やすために、少しお茶しませんか?」
 僕の左隣に座る門脇先輩が、他人事のように言いました。コンタクトを入れているのか、今日は眼鏡をかけていません。彼女は目の前の議論をのほほんと笑顔で見ながら、羊羹(ようかん)をおいしそうにかじります。
 僕らの前には、それぞれ羊羹やまんじゅうなどの和菓子や、缶の緑茶一本ずつが置かれています。門脇先輩が用意してくれたものですが、議論している三人はそれらに全く手を付けず、僕と門脇先輩のほうも見ていません。
 缶に両手を添え、湯飲みで飲むように上品に緑茶をすする門脇先輩を見ていると、なんだか肩の力が抜けてくる感じがしました。僕は彼女を見ながら、
「……門脇先輩、どうしてゲートボールなんてやってるんですか? あまり運動部って感じじゃないし……。お茶が好きそうだから、茶道部のほうが良かったんじゃないですか?」
 率直な疑問を、ぶつけてみました。
 門脇先輩は、ほとんど閉じているくらい細めたままの目を、僕に向けてきます。そしてほけーっと微笑みながら頬に手を当て、
「ええ……。確かにお茶は好きですけど……。自分で淹(い)れたり点(た)てたりするのは、めんどくさくって。あとお菓子も好きだから、太らないように運動したいんですけど……。激しい運動は、めんどくさいんですよぉ。だから適度にのんびり運動できる、ゲートボールにしたんです」
 彼女ののんびりした口調での説明を聞き、僕は肩を落としました。
「まったく……。そのマイペースさ、隣の人に分けてあげたいですよ」
 僕は横目で、唾を飛ばしながら何かまくし立てている剣崎先輩をちらりと見ました。
「そうですねぇ……。世の中、もう少しのんびり回ってくれればいいですよねぇ……。ああ、それでも……」
 門脇先輩は、にへらっと笑い、
「のんびりだけじゃない楽しさが、ゲートボールにはありますよぉ」
 間延びした口調で、さらっと言うのでした。
 僕が言葉に詰まっていると、
「……圭護くん?」
 早苗姉えの、低く押し殺したような声が聞こえました。
 僕が身震いしながら彼女を見ると、剣崎先輩が身を縮めています。関元先輩も、なぜだかとがめるような目を僕に向けていました。
「門脇さんと、ずいぶん仲良さそうに……。いや、議論に参加しないで、どうしたの? この『活動』の内容は変だけど、私もお膳立(ぜんだ)てを手伝ってあげる以上、圭護くんもいい加減にやれないよね?」
 早苗姉えは僕に笑顔を向け、あくまで静かな口調で僕に注意してきました。その目元には、どこか影が差しているように見えます。
「い、いやあ早苗姉え! これから勝負する相手だし、こんなちょっとの時間に親交を深めておこうと思っちゃっただけだよ! 大丈夫、僕もちゃんと参加するよ!」
 僕がまくし立てると、
「まったくっ! この場に参加しない奴は、せめて買い出しにでも行けっ! 安全性を考慮した結果、ちょっと資材を調達する必要が出てきたからなっ! サボりの君たち二人で……」
 剣崎先輩が、僕と門脇先輩とを交互に指差しながらわめきました。しかし、
「誰と誰の、二人で?」
 目が笑っていない笑顔をした早苗姉えに尋ねられると、剣崎先輩は身震いしました。
「いや……野郎二人で!」
 剣崎先輩は、慌てて僕と関元先輩とを指差しました。


「……いい先輩だな」
「いきなり自画自賛して、どうしたんですか先輩?」
 隣で関元先輩がこぼした言葉に、僕は突っ込みました。
 僕と関元先輩は、学校の近所のディスカウントストアで買い出しを終え、学校に戻る道を歩いていました。近所とはいっても、山道を歩きで十五分程度上ったところです。中学の受験シーズンから今まで、運動には半年以上のブランクがある僕にはちょっときつく感じました。
 雨は上がっていますが、空は一面雲で覆われています。まだ濡れている道を、僕と関元先輩は一緒に下っていました。
「……俺じゃなく、剣崎先輩のことだ」
 関元先輩は、僕にジト目を向けてきます。
「その……君と他の女子が仲良くするのを、杜生さんが快(こころよ)く思わないのは俺から見てもなんとなく分かった。だから買い物ついでに、男子同士で逃がしてくれたんだろう。一見短気なようで、意外と気が利くじゃないか」
「まず僕に買い出しさせることありきで、関元先輩と一緒に行かせたのは、早苗姉えが怖くてとっさに思いついただけじゃないですか? 基本的には、暑苦しくてうるさい人ですよ」
 僕は、肩をすくめました。
「……なら立石くん、君はなんでカバディ部にいるんだ? そりの合わない先輩にも耐えられるぐらい、カバディが好きなのか?」
「部じゃなくて同好会です。……えっと、その……そうですね。カバディは魅力的です。マイナースポーツだから、その……。余計な人が入りにくいこととか、うるさい人が入りにくいこととか、あと監視してくる幼馴染が入りにくいこととかが、具体的な魅力ですね」
「……すまないな。余計な詮索(せんさく)をしたようで」
 僕が説明すると、関元先輩はぽんと肩を叩いてきました。何か心配させたのでしょうか? 僕は彼に、心の底からの笑顔とともにカバディの魅力を伝えたつもりですが。
「関元先輩こそ、どうしてゲートボール同好会なんて入ったんですか? もっと本格的な運動部って感じですけど」
 関元先輩の身体を上から下まで見ながら、僕は尋ねました。レジ袋をぶら下げた腕は、開襟(かいきん)シャツの半袖から出た部分だけでも太く、筋肉を浮かび上がらせています。坂道を下る脚にも、スラックスの上からでも分かるほど筋肉がついていて、肩周りや胸板などもがっしりして力強そうでした。
 僕の質問を受けて、関元先輩は心なしか頬を染めながら、咳払いをしました。
「あー……。俺はもともと、バスケ部にいた。だが冬に膝を痛めたから、リハビリのためにゲートボール部に移ったんだ」
 関元先輩は、すらすらと説明しました。その口調はあまりにスムーズすぎて、どこかわざとらしく感じられます。
「バスケ部って言ったら、運動部の花形じゃないですか。ちょっと膝痛めた程度で辞めるなんて、もったいない。……あ、もしかして門脇先輩が目当てとか?」
 僕がにやけながらあてずっぽを言ってみると、関元先輩は赤くなった顔をばっと向けてきました。図星だったようです。
「ばっ……馬鹿を言うな! 何を根拠に!」
「えー? だって門脇先輩、見てたら癒されるじゃないですか。彼女のいるゲートボール同好会は、ハードな運動部で疲れた心のオアシスだったんじゃないですかぁ?」
 僕がさらに追及すると、関元先輩はまた一つ咳払いをします。
「あー……。彼女が入部の理由ではないと、断言させてもらうが……」


 関元先輩は一年のとき門脇先輩と同じクラスで、二学期には一緒にクラス委員をやっていました。そのとき、いろいろと危なっかしい彼女の姿を見たそうです。


 例えば、先生に頼まれた資料を運んだとき。
「門脇さん。そんなにいっぺんに運んで……大丈夫か?」
 段ボールひと箱分、その半分のプリントを抱えて廊下を歩きながら、関元先輩は隣の門脇先輩に声を掛けました。
「大丈夫ですよぉ。焦らずに運べば……うわっと!」
 関元先輩が抱えているのと同じ量をよろよろと運んでいた門脇先輩は、何もないところでよろけて、前のめりに転びかけます。
「門脇さん!」
 関元先輩は、プリントを放り出しながら、門脇先輩を受け止めます。二人が抱えていたプリントが、ばらばらと廊下に散らばりました。
 関元先輩は慌てて門脇先輩を放し、姿勢を正します。
「ああ関元くん、ありがとうございます。お怪我、ありませんか?」
 門脇先輩は、関元先輩をよく見ようと彼に一歩寄りましたが、
「門脇さん! プリント踏んでる!」
「あ。大変ですねぇ。早く拾わないと――」
 門脇先輩は数歩下がり、さらに他のプリントを踏みながら、プリントに埋め尽くされた床をおろおろと見回しました。
「……門脇さん、そこにいてくれ。あとは俺がやる」
 関元先輩は、ため息を吐きながらしゃがみ込みました。


 例えば、文化祭の出し物を議論したホームルームのとき。
「それでは時代劇、お化け屋敷、メイドカフェ・執事喫茶の中から選びたいと思いますが――」
 意見が出尽くしたので、関元先輩は黒板に書きつけた候補を選ぶために多数決を始めようとしましたが、
「……ねえ関元くん。お茶屋とか、どうですか?」
 関元先輩の隣でずっとほけーっとしていた門脇先輩が、そのときになって唐突に口を開きました。教室中から、「え?」「今さら?」などという驚きの声と、「まあ、門脇さんだからな……」というため息まじりの声が漏れます。
 門脇先輩が「ほえ?」とすっとぼけながら、首を傾げていると、
「えー……お茶屋も候補に入れたいと思いますが、異論のある人?」
 関元先輩は、眉がひくつくのを感じながら、クラスメイトたちに問いかけます。
 教室中から笑い声と、「異論なしっ!」「よっ! 門脇さん係!」「もう付き合っちゃえよ!」などと、同意と冷やかしの言葉が返ってきます。それを背中で聞きながら、関元先輩は黒板に『お茶屋』と書き加えました。


「……だから、彼女一人で部活させるのが心配な気持ちは、正直に言えばある」
 関元先輩は、赤くなった顔を正面に向けたまま、歯切れ悪く説明しました。


 そもそも、ゲートボール同好会の立ち上げの経緯も――
「関元くんって、本当によく鍛えてますねぇ」
 ある日の放課後。戸締りのために二人きりになった教室で、門脇先輩は関元先輩の胸板をぺたぺたと触ってきました。
「俺がバスケ部なのは、知ってるだろう? 自慢になるんだが、みんなからはエースとして期待されてるんだ」
 関元先輩は胸板を触られるがままにしながら、熱くなった顔をそむけます。
「へえ、知りませんでした」
 胸板タッチをやめた門脇先輩がしれっと答えたので、関元先輩はがっくりとうなだれました。自分に対する、彼女の興味の薄さに。
「関元くんほど鍛えるのは、無理でも……。私も、少しは運動したいですねぇ。お菓子の食べ過ぎで、少し太ってきちゃって」
 門脇先輩はセーラー服の裾(すそ)を下のシャツごとめくり、お腹をぷにぷにとつまみます。関元先輩は、そこから慌てて目を逸らしました。
「自分の好きな運動をするのがいいよ。門脇さんには、何かあるか?」
 門脇先輩と一緒に教室を出ながら、関元先輩が尋ねると、
「ゲートボールに、興味がありますねぇ。適度にのんびり、運動できそうなので」
 門脇先輩は、にへらっと笑いながら答えました。
「…………」
 彼女と一緒に廊下に出てから、関元先輩は自分の膝をさすりました。ちなみに、当時痛めていたのは本当だそうです。
「……じゃあ門脇さん。俺と一緒に、同好会を立ち上げないか? 一人じゃ、活動しづらいだろうし……。俺も膝を痛めてて、もう少しマイルドな運動がしたかったところだ」
 教室のドアを施錠(せじょう)しながら、関元先輩は提案します。門脇先輩は、数秒ほけーっとした顔で考え込んでから、
「ええ関元くん。喜んで」
 満面の笑みとともに、答えました。


「ほほぅ? 関元先輩、さては庇護(ひご)欲をそそる女性がタイプですねぇ?」
 説明を終えた関元先輩を、僕は肘で小突きました。
「放っておけないだけさ。……だが立石くん」
 関元先輩は僕を小突き返し、そして真顔を向けてきます。
「君はどうだ? 嫌な人から逃げ、嫌な人と一緒に続ける部活は、君にとって何の意味がある?」
 関元先輩の問いに、僕は一瞬言葉に詰まりましたが、
「……さっすが、好きな人と二人きりで部活してる人は、言うことが違いますねぇ」
 すぐににやけて、関元先輩の頭をわしゃわしゃと撫でました。
「馬鹿を言うなと言っただろう!」
 関元先輩はまた顔を真っ赤にして、僕の手を払いのけます。
 曇り空の下を、僕たちは歩き続けました。


 僕と関元先輩とが資材を調達している間、残っていた女子三人はルールの調整を終えていました(というか、ほとんど剣崎先輩と早苗姉えが細かいところを詰め終えて、門脇先輩はお茶をしながら見ているだけだったらしいですが)。
 それから一時間ほど、ゲートボール同好会にカバディの基本的なフォーメーション――剣崎先輩と一緒にそれをやると、早苗姉えの目線が突き刺さってきました――を教えたり、僕らカバディ同好会もゲートボールの打ち方を教えてもらったり――早苗姉えの目が怖いので、門脇先輩ではなく関元先輩に教えてもらいました――してから、試合に臨(のぞ)みます。
 自分たちで作った、手作り感あふれるフィールドに、僕らは向き合いました。
 柔道場には、場内を示す赤い畳で仕切られた正方形が、二つ並んでいます。今は、二つの正方形がビニールテープでつながれ、一つの長方形のフィールドになっていました。短い辺は九メートル、長い辺は二十一メートルほどでしょうか。
 そしてフィールドの中には、棒状によじったテープで作ったコの字型のゲートが三個、そして中心には、同じくテープで作った短いポール一本が立てられていました。
 僕たち、カバディ同好会とゲートボール同好会は、体操服に着替えていました。長辺の一つの、フィールドに向かって右端近く、スタート位置に集まっています。
 その正面数メートル先の、「1」の番号が振られたゲート脇には、早苗姉えがストップウォッチと、スコアを記録するためのメモ帳を持って立っていて――
「これより、カバディ対ゲートボール統一ルール競技――『ゲボディ』の試合を開始します」
 試合開始を告げながら、ストップウォッチを始動させるのでした。

「これより、カバディ対ゲートボール統一ルール競技――『ゲボディ』の試合を開始します」
 早苗姉えは、試合開始を告げながら、ストップウォッチを始動させました。柔道場の隅で、剣崎先輩が貯金のほとんどをはたいて買ったというビデオカメラが僕らの姿と、柔道場全体を写しているはずです。
「……もう少しましな競技名、なかったんですか? いっそ競技名自体、付けなくてよかったんじゃ……」
 げんなりする僕の隣で、剣崎先輩がどや顔で胸を張ります。胸自体でもポーズでも、いちいち自己主張の激しい人です。
「『ゲ』ート『ボ』ールとカバ『ディ』とを短い一言にまとめた、いい名前じゃないかっ! さて、カバディ部部長、剣崎つむぎ! 参るっ!」
 剣崎先輩は、必要もない名乗りを無駄に雄々しく上げてから、スタート位置に着きました。
コイントスで決めた攻撃順は、僕らが先攻。剣崎先輩は、「1」と書かれた赤いボールを足元に置きました。長さ六十センチほどの柄のついたハンマーのようなスティックで、スタート位置から正面へとそっと打ちます。
 ボールは畳の上、そしてその継ぎ目を目張りしているテープの上をころころと転がり、三メートルほど先のゲートを通過。それから少し先で、止まりました。
「一番、第一ゲート通過!」
 ゲート脇に立つ早苗姉えが、報告します。
 こうして、フィールド上に置かれたゲートを逆時計回りの方向に通過していき、そのたびに一点得点。最後にフィールド中心にあるゴールポールに当てると、二点得点して上がり。昨日関元先輩が説明してくれた通り、それがゲートボールの基本的なルールです。しかし、勝つためには仲間と連携したり敵を妨害したりする必要があって、一筋縄ではいかないそうです。
 それに、もう一つ面倒な点が、今回のルールにはあります。
 関元先輩と門脇先輩が、剣崎先輩と一番ボールとの中間の位置に移動しました。二人で手をつなぎ、両腕を広げて待ちかまえます。試合が始まってものほほんとした笑顔のままの門脇先輩と、少し顔を赤くして緊張気味の関元先輩とのコンビが、微笑ましいですね。
 剣崎先輩は、スティックをその場に置き、
「カバディ、カバディ、カバディ――」
 ほどほどの声量でキャントしながら、敵二人に迫ります。
「カバディ、カバディ、カバディ、カバディ、カバディ……」
 一人と二人は、腰を落として身体を左右に小さく揺すりながら、睨み合いを始めました。
 ときおり剣崎先輩が手や足を二人に伸ばし、関元先輩がそれを素早くかわしたり、門脇先輩がまんまとタッチされたりします。斬るか斬られるかといった雰囲気が三人(いや、約一名は除きます)を包み、さながら格闘技の試合です。
「カバディ、カバディ……」
「――門脇さん!」
 睨み合いが始まって十秒ほどして、関元先輩が叫びました。彼は門脇先輩と一緒に前に出て、二人がかりで剣崎先輩を捕えようとします。
 出遅れた門脇先輩の横を抜けて、剣崎先輩はボールまで一気にダッシュ。悔しそうな顔で振り返る関元先輩と、のんびり振り返る門脇先輩を尻目に、足でボールにタッチしました。
「ボールタッチ! 打撃成立! カバディ同好会に二点!」
 早苗姉えが、報告しました。
 そう。これが「ゲボディ」――気持ち悪い響きです――の特別ルール。攻撃側の打者は、打った後防御側の選手をかいくぐってボールにタッチせねばならず、さもなくば打撃は無効。しかしボールにタッチできれば打撃が有効となり、なおかつ途中でタッチした敵の人数分も加点されるという仕組みです。
 剣崎先輩は今回、ゲートを通過して一点、門脇先輩にタッチして一点、計二点得点しました。
「よっしゃ! 幸先いいぞっ、立石くん!」
 小さくガッツポーズする剣崎先輩のもとへ、僕はスティックを持って行ってあげました。これを持ったままでカバディをやると、危ないのです。
 ゲートを通過したボールは、もう一度打つことができます。剣崎先輩は、スタート位置と反対側の長辺の中間近く、そこにある第二ゲートの右斜め手前までボールを打ちました。
 剣崎先輩はさっきと同じように、阻止してくる二人を門脇先輩の側から――もちろん、門脇先輩にちゃっかりタッチして一点入れてから――抜けてボールにタッチ。そして僕のところに戻ってきます。
 次の打順は、関元先輩です。彼は「2」と書かれた白いボールを打ち、難なく第一ゲートを通過させました。その間に、
「剣崎先輩、どうして一気に第二ゲート通過しないですか?」
「その方が、後から来る敵を妨害しやすく、味方のプレイの助けになるからだよ。それより行くぞっ、立石くん」
 僕は剣崎先輩と少しだけ会話してから、彼女と一緒に、関元先輩と二番ボールとの間に立ちふさがるのです。……剣崎先輩と手をつないでフォーメーションを組んだとき、早苗姉えの視線が背中に突き刺さってきて、背筋が凍る思いをしました。
「カバディ、カバディ、カバディ、カバディ」
 関元先輩も、意味不明の言葉を連呼しながら、僕らに迫ってきます。彼が僕を見た瞬間、
「ふっ!」
 剣崎先輩が、僕とつないでいた手を放して一気に飛び出しました。慌てて身をよじる関元先輩に、猫科の肉食獣のように姿勢を低くして飛びかかります。逃げきれずに脚を捕えられた関元先輩が、前に倒れました。
「キャッチ成功! 打撃不成立! カバディ同好会に一点!」
 早苗姉えが、報告します。
 カバディでは、防御側は攻撃側の選手を捕えると一点入るので、そのルールを適用することになりました。攻撃でも防御でも得点できて、お得なルールです。
 関元先輩は、しぶしぶといった表情で自分のボールを拾い、スタート位置に戻りました。
 次の打順は僕です。剣崎先輩と一緒に、スタート位置に戻りながら話します。
「それにしても、ゲートボールの戦術なんてよく知ってますね」
「『よく知ってますね』じゃないっ! 昨日君も勉強しただろう! 勝負する以上、敵のことも知り尽くして当然だっ!」
「この勝負に、マジになってますね。肝心のカバディでも、先輩がマジになりすぎて他の人が辞めちゃったんじゃないですか?」
「どうして分かっ……うるさいなっ! いいからさっさと打てっ! 試合時間、十五分しかないんだぞっ!」
 両拳を上下に振る剣崎先輩にせかされていると、視線を感じました。早苗姉えが僕たちを睨んでいましたが、僕と目が合うとすぐに笑顔になります。
 僕は身震いしながら、「3」と書かれた赤いボールをスタート位置に置きました。ボールの横に、打ちたい方向に対して横向きに立ち、足を肩幅に開きます。
 早苗姉えの目線を感じながら、震える手でスティックを軽くボールに当て、振りかぶり――
 かんっ!
 思い切り振り抜きます。ボールはゲートを通過したものの、ビニール製の畳表(たたみおもて)の上を勢いよく転がって、フィールドの外に出ました。思い切りがよすぎたようです。
「何をやってる、立石くん!」
「いやあ、早苗姉えが見てると、いい加減な試合はできないと思いまして! ちょっと力が入りすぎましたねぇ!」
 なじってくる剣崎先輩に、僕は答えます。優しい幼馴染が見守ってくれているのに、どうして声が震えるのでしょう。
 僕が自球を回収している間に、門脇先輩の打順です。彼女は「4」と書かれた白いボールを、スタート位置から第一ゲートに通します。
 スティックをのんびりと置いた門脇先輩の前に、僕らは立ちはだかります。
「カバディ……カバディ……カバディ……」
 ゆっくりながらも、ちゃんと途切れなくキャントする門脇先輩に対し、
「立石くん!」
 剣崎先輩は、つないだ僕の手をくいっと引きました。そして僕たちは同時に前に出て、門脇先輩を捕えようとしましたが、
「カバディ……!」
「はうっ!」
 健気にキャントを続けながらも、門脇先輩は悲鳴のような声を上げて身をすくめました。そのか弱い姿に、僕の胸がきゅんっと締め付けられます。なんだか目の前に、きらきらした霧のようなものさえかかって見えました。
「カバディ……カバディ……!」
 思わず足を止めた僕の腕の下を、門脇先輩はにへら顔ですり抜けていきました。
「くそっ!」
 剣崎先輩は、僕の手を離しました。とてとてと走る門脇先輩に追いすがり、飛びかかります。彼女に後ろから抱き付きますが、
「カバディ! ……カバディ!」
 門脇先輩は、キャントを続けます。彼女が前に出した足がボールに触れ――
「ボールタッチ! 打撃成立! ゲートボール同好会に二点!」
「間に合わなかったかっ……!」
 早苗姉えの報告と同時に、剣崎先輩が悔しがりました。……それと早苗姉えの冷たい目が僕に向いてきて、僕はまた一つ身震いします。
 カバディでは、攻撃側選手が捕まっても、そのとき指一本でも自チームのコート側に戻っていれば得点できます。ゲボディ――本当に、この名前嫌なのですが――のルールでも、ボールタッチの成立は似たようなルールにしました。
 この場合、剣崎先輩に捕まりながらもボールにタッチした門脇先輩は、むしろ剣崎先輩をタッチした扱いで一点。さらにゲート通過で一点、合計二点なのは言うまでもありませんね。
「やりましたよぉ、関元くん」
 門脇先輩は、のんびりとガッツポーズしました。彼女がボールにタッチしたとき蹴ったらしい第一ゲートが、ひしゃげています。普通ゲートボールで使う金属製のゲートなら、彼女は足を怪我していたかもしれません。
「タイム! ゲートを修繕(しゅうぜん)してください!」
 早苗姉えは宣言し、ストップウォッチを一時停止させました。……そしてまた、ぎろりと僕と門脇先輩を一睨みします。門脇先輩のか弱さにやられた僕を、心配してくれているのでしょう。本当にいい幼馴染です。
「何てざまだ、立石くん! ここまで使えん奴だとは思ってなかったっ!」
 僕は、剣崎先輩のお叱りを受けました。
「だだだ、大丈夫! 調子狂う人たちと当たって、まだ全力が出せないだけですよ! ささ、早苗姉えが見てる以上、そのうち本調子になりますって!」
 僕は彼女に、ガッツポーズを向けました。奥歯ががちがち鳴るのは、きっと武者震いです。
「……オーケー立石くん、私が悪かった。もう少し気楽にな」
 剣崎先輩は、なぜだか憐(あわ)れみをその目に浮かべながら、僕の肩をぽんぽんと叩きました。
 僕と剣崎先輩はそんな調子で、門脇先輩もほけーっとしていたので、関元先輩が一人でゲートを直しました。そして、
「試合再開!」
 早苗姉えの宣言とともに、あと一回打てる門脇先輩は第一ゲートの少し先、ボールの元へ歩いていくのです。
 門脇先輩は、第二ゲート辺りを狙ってスティックを構え――
 くわっ!
 普段糸のように細めている目を、見開きます。
 彼女が静かに打ったボールは、ゆっくりと畳の上を転がり――
 かちん。
 剣崎先輩の一番ボールに、そっと当たりました。
「四番、一番にタッチ!」
 早苗姉えの報告。自分のボールを他のボールに当てると、スパーク打撃というちょっとしたボーナスが付きます。
「カバディ……カバディ……カバディ……」
 ボールへと移動する門脇先輩の前に、僕と剣崎先輩は再び立ちふさがります。門脇先輩は、僕らの前でびくびくっ! と身をすくめました。慌てて手を引っ込めた僕の横を、彼女はしれっと通過していきます。
 門脇先輩は、後ろから剣崎先輩に脚を捕らえられました。前に倒れながらも、捨て身で手を伸ばしてボールにタッチ。一点獲得して、次の打撃に移ります。
 門脇先輩は一番ボールを拾い、自分の四番ボールの横にくっつけました。四番を踏みつけながら打って、一番をそっとフィールドの外に弾き飛ばします。
「一番、アウトボール!」
 早苗姉えが報告しながら、一番ボールをアウトになった場所近く、ラインの少し外側に置きました。
 これがスパーク打撃と言って、仲間のボールや敵のボールを都合のいいポジションに移動させられるのです。昨日関元先輩がそれを説明していた辺りで僕が居眠りして、剣崎先輩にチョップで叩き起こされたのはいい思い出です。
 もっともそのスパーク打撃さえ、このゲボディ――いい加減、この名前受け入れたほうがいいですね――のルールにおいては、カバディの攻撃によって成立させないといけません。
打撃を成立させるため、門脇先輩は少し後ろに下がり、それを妨害する僕らは彼女とボールとの間に入ります。……しかし、僕はまた門脇先輩のか弱さにやられました。
 今度は剣崎先輩と一緒に彼女を捕えましたが、彼女の怯(おび)え顔や、柔らかくていい匂いのする身体に押し負け、足でのボールへのタッチを許してしまいました。これで打撃成立、ゲートボール同好会に二点入ってしまいました。そして早苗姉えの冷たい目線。
 スパーク打撃が成立すると、もう一回打撃ができます。門脇先輩は、自分のボールをラインのすぐ内側、アウトになった一番ボールのすぐそばに寄せました。
 そして僕と剣崎先輩の防御が、また僕のせいで失敗したのは言うまでもありません。ゲートボール同好会に、さらに二点。
 打順が一巡りして、僕らとゲートボール同好会との得点は四対七。実に倍近い点差を付けられてしまいました。
 残り時間は十分ほど。第二ゲート近くのライン際には門脇先輩のボールがあり、そのすぐ外には剣崎先輩のボール。僕と関元先輩のボールは、まだスタート位置を出ていません。
 剣崎先輩は、アウトになった自分のボールを、門脇先輩のそれに当てないように打ちました。アウトから打ち入れられたボールは、他のボールへのタッチやゲート通過は無効とされます。門脇先輩はそれを踏まえ、絶妙に邪魔になる位置にボールを打っていたのです。
 フィールドに入ったボールは、第二ゲートから下がったところ、四番ボールより遠くに止まりました。
 剣崎先輩は、また関元先輩と門脇先輩の妨害をかいくぐり、ついでにタッチで一点を入れながら打撃を成立させました。しかし、これで今回の彼女の打順は終わりです。
 次の打順は、関元先輩です。彼が再び第一ゲートに通したボールへの道を、僕らは阻(はば)みます。
「カバディ、カバディ、カバディ、カバディ、カバディ……」
 キャントしながら迫ってくる関元先輩と、僕らは向き合います。
 数秒睨み合って、彼は剣崎先輩のほうに目線を向け、片足を出しました。
 僕は慌てて彼を捕えようとしましたが、
「フェイント――!」
 剣崎先輩が叫びます。同時に関元先輩は僕の横、剣崎先輩とは反対側にダッシュしました。ほとんど予備動作もありません。前に出てたたらを踏んだ僕の肩にタッチし、関元先輩は走り去りました。
「見送る!」
 剣崎先輩は、慌てて振り返った僕の手を引きます。そのときには、関元先輩はもうボールにタッチしていました。これでゲートボール同好会に二点。僕が彼を捕まえても、徒労に終わったでしょう。
 さらに関元先輩は、剣崎先輩のボールに自分のボールを当て、スパーク打撃でまたアウトにします。その間、僕らは二回関元先輩を阻止しようとしました。
 関元先輩は、一度目はフェイントで僕のほうから抜けると見せかけて剣崎先輩の方から抜けたり、二度目は横から抜けると見せかけて僕らの腕の下から抜けたり、変幻自在に動きます。二度目のときに僕がタッチされ、ゲートボール同好会に一点。
 関元先輩は、次に門脇先輩のボールに自分のボールを当てました。しかし今度の打撃は、フェイントに慣れてきたのか剣崎先輩が阻止し、僕らに一点。早苗姉えが、二番と四番のボールをそれぞれ元の位置に戻しました。
 門脇先輩の四番は、未だ第二ゲート近くにとどまっていました。関元先輩の二番は、そこから少し後方に。一方剣崎先輩の一番は、関元先輩の二番の近くでまたアウトになっています。僕らにとっては、とても攻めづらい状況である上に、
「六対十か。逆転が難しいな……!」
 剣崎先輩が、親指の爪を噛みました。
「それ、勝利のおまじないですか?」
 僕も先輩にならって、親指の爪を噛んでみました。しかし声と手の震えが止まりません。早苗姉えが見ています。
「……立石くん。その恐怖、利用してみないか?」
「え?」
 振り返ると、剣崎先輩が耳打ちしてきました。

 二巡目の打順が回ってきて、僕は三番ボールをそっとスティックで打ちました。
 スタートからころころと転がったボールは、第一ゲートにぶつかりながらなんとか通過。そして門脇先輩と関元先輩が立ちはだかります。
 僕は二人に迫りながら――
「カバディ! カバディ! カバディ!」
 思い切り怒鳴りました。早苗姉えに見られているという恐怖を、それから来る震えを、全て口から吐き出します。喉が痛いです。あと、女の子のような甲高い声が出て、自分でもびっくりしました。
 びっくりしたのは、ゲートボール同好会のお二方も同じです。僕が突然上げた奇声に門脇先輩が身をすくめ、彼女を心配する関元先輩は、思わず僕から目を外します。
「カバディ! カバディ!」
 そして僕は猛ダッシュ。身動きの取れない門脇先輩にタッチしながら通り過ぎます。
 すぐにボールにたどり着き、足でタッチ。振り返ると、すぐ後ろで関元先輩が、僕に伸ばしかけた手を止めていました。これで僕らに二点。
「はぁ……。門脇先輩、ごめんなさい……」
 僕は誰にも聞こえない声で謝りながら、よく狙ってボールを打ちました。関元先輩の二番になんとか当てます。二番を勢い余って一発でアウトにしてから、僕のボールは止まりました。
さっきと同じ、大声で威嚇(いかく)する作戦で防御を抜けながら、門脇先輩にタッチ。ボールにタッチし、一点入れながら打撃成立。
 スパーク打撃は、自分のか他人のかいずれかのボールがフィールド外に出てしまうと成立しません。よって今回の僕の打順はここで終わりですが、ともかく僕は三点稼ぎました。
「……何とかこれで、一点差まで縮まったな」
「いいんですか……これで……?」
 僕は剣崎先輩のもとへ戻りながら、早苗姉えのほうを振り向きました。彼女は何か複雑な顔をしていて、僕は凍り付きます。
 苦々しい顔の剣崎先輩が「……実力差を埋めがたい以上、やむを得ん」と腕組みして言っているのをよそに、ゲートボール同好会のほうを見ると――
 関元先輩が、震える両拳を握っていました。うつむいているので表情はよく見えませんが、その顔には影が差しているように見えます。門脇先輩が、「関元くぅん? どうか、しましたかぁ?」と、のんびりした声を彼に掛けていました。
 門脇先輩の打順。彼女は僕のボールに、自分のを当てました。しかし妨害の剣崎先輩が一人で前に出て、彼女をあっさりと捕えます。門脇先輩に対して、僕が使い物にならないからです。
 門脇先輩の打撃は成立せず、僕たちにまた一点。門脇先輩の四番は、第二ゲート近くに戻されました。一方その後方、さっき関元先輩の二番があった辺りには、僕の三番があります。剣崎先輩の一番と関元先輩の二番は、三番ボールの近くでともにアウトになっていました。
「これで同点か……。最初から、こうすればよかった」
 剣崎先輩が肩を回す一方、相変わらず複雑な表情の早苗姉えと、いつの間にか怖い顔になっていた関元先輩とが、僕は気になっていました。
「十対十! 試合終了まで、五分前です!」
 早苗姉えは、笑っていない目を僕に向けながら、笑顔で宣告しました。


 三巡目の打順が回ってきた剣崎先輩は、僕の三番の前に自分のボールをそっと打ち入れました。第二ゲート前にある門脇先輩の四番ボールからは、格好の的になります。しかしそれさえ阻止すれば、次の僕の打順でスパーク打撃につなぎやすい位置でした。
「カバディ、カバディ……」
 剣崎先輩は打撃を成立させるため、ボールの前を塞ぐ門脇先輩と関元先輩に迫りますが――
「……任せてくれ、門脇さん」
「関元くん?」
 関元先輩が、きょとんとする門脇先輩を尻目に前に出ました。
「カバディ……カバディ……カバディ……!」
 関元先輩と一対一で向き合った瞬間、剣崎先輩の声に緊張がにじみます。
 剣崎先輩は、関元先輩をまねたのか目線やステップでフェイントを掛けます。しかし彼は動じません。剣崎先輩が横に抜けようとするたびに、関元先輩はすっと身体ごと動いて阻止しました。予備動作のないその反応に、剣崎先輩は慌てて止まります。
 剣崎先輩は、代わりにタッチでフェイント。伸ばした手を、関元先輩が掴もうとします。
 彼の注意がそちらに向いている間に、横からダッシュ。関元先輩の脇でほけーっとしていた門脇先輩にタッチし、一点入れてからボールにタッチしました。打撃成立。
「手ごわいな……! 元バスケ部か?」
 剣崎先輩は、額にじんわりと汗を、そして顔中に獰猛(どうもう)な笑顔を浮かべていました。
「先輩、エスパーですか? その通りですけど」
「見てれば見当はつくっ! ……だがそうか、関元拓馬! 相手にとって不足はないっ!」
 僕と剣崎先輩がそんな会話をしている間、関元先輩はアウトからボールを打ち入れ、フィールドをほとんど横断した反対側で止めました。今僕と剣崎先輩のボールがあるところ、第二ゲートから手前に引いた位置からは、遠くて狙いにくい位置です。特に、ゲートボールに不慣れな僕らにとっては。
 その間じゅう、彼はずっと怖い顔をしていました。
「カバディ、カバディ、カバディ、カバディ」
 低く押し殺した関元先輩の声が、柔道場に響きました。
 防御のために立ちふさがる――というか、剣崎先輩の後ろに控えているだけですが――僕のお腹にも、彼の声はずんと重く響いてくるようです。
「カバディ、カバディ、カバディ、カバディ、カバディ、カバディ」
 彼は剣崎先輩と、じっくりと睨み合います。落とされた重心。小さく揺れる身体。ときおり入るフェイントのステップやタッチ。
 剣崎先輩もフェイントに動じずどっしりと構え、タッチしてくる手を逆につかもうと反応しますが――
「わっ!」
 関元先輩がいきなり顔に伸ばしてきた手、それから逃れるように、剣崎先輩は悲鳴を上げてのけぞりました。
 その隙に関元先輩は、剣崎先輩にタッチしながらダッシュ。彼がさらに伸ばしてきた手を慌てて避ける僕の横を抜け、ボールまで一気にたどり着きました。
「打撃成立! ゲートボール同好会に一て――」
「審判、タイム! 今の見たかっ?」
 早苗姉えの宣告する声を、剣崎先輩が遮(さえぎ)りました。
「彼は私に、目突きをしようとしてきたっ! カバディでは、暴力行為は反則だっ! 今すぐ彼にペナルティを与えろっ!」
 剣崎先輩は、関元先輩を指差しながら早苗姉えにまくし立てましたが、
「心外ですね、剣崎先輩。タッチしようとして、手元が狂っただけですよ。例えば、声の調子が狂って、思わず相手を威嚇するようなキャントをするとか――それと同じでは?」
 関元先輩は、肩をすくめながらしれっと答えました。
「くっ……!」
 剣崎先輩は、歯噛みします。
「……今回は警告で済ませますが、攻撃時の安全にはもっと配慮するように。キャントも、最低限審判に聞こえる程度の声量を心掛けてください。それでは二番の打撃成立、ゲートボール同好会に一点。試合再開」
 早苗姉えは、関元先輩、剣崎先輩、そして僕を見比べながら宣言しました。……その目つきが、徐々に険しくなります。
 僕の打順が、回ってきました。今、関元先輩の二番が、スタート位置から五メートルほど左に、門脇先輩の四番は第二ゲート近くにあります。
 一方で僕の三番は第二ゲートから結構手前に、剣崎先輩の一番は三番のすぐ前にありました。とてもスパーク打撃につなげやすい位置です。僕はスティックを握りながら、
「や、やっぱりせこい手で勝とうなんて考えが間違ってたんですねぇ。ぼぼ、僕はちゃんとカバディやってきたんだから、せせ、正攻法で、勝てるはずですよぉ」
 早苗姉えの目線にがちがち奥歯を鳴らしながら、僕は自分を励(はげ)ましました。ちゃんとカバディをやってきたなんて、もちろん嘘です。早苗姉えの前で、やらなかったとは言えないのです。
「立石くん?」
 剣崎先輩が、心配そうな顔をします。いつも暑苦しい彼女にしては珍しいですね。明日は雨でしょう。梅雨だから、どの道降るでしょうけど。
「だだ、大丈夫ですよ剣崎先輩。か、勝ちましょう。じゃないと、早苗姉えに合わせる顔があ、ありませんよ」
 僕は、スティックをボールに当てます。震える手で打ったボールは、すぐ先の剣崎先輩のボールに簡単に当たりました。
 その打撃の成否をカバディで争うために、僕は後ろに下がり、そして関元先輩と門脇先輩とが目の前に出てきます。
「カバ、ディ……カバディカバディ! ……カバディ、カバディ、カバディ!」
 僕はキャントしますが、そのリズムは乱れに乱れました。関元先輩の怒りと、早苗姉えの不信と、それぞれが込められた眼光が、がくがくと足を震わせます。そして、
「審判、タイム!」
 剣崎先輩の叫び声が、僕のキャントを中断しました。彼女は素早く僕の前に来て、
「立石くんっ!」
 ばちんっ!
 剣崎先輩は、僕の両頬を挟み込むようにビンタしました。
「……けんじゃきしぇんふぁい、ないしゅゆんでしか」
 顔を両側から圧迫されながら、僕は舌足らずな声を出しました。「剣崎先輩、何するんですか」と言ったつもりですが、伝わったでしょうか。
「立石くん、リピートアフターミーっ! カバディ、カバディ、カバディ……!」
 剣崎先輩は両手を僕の顔から離し、唐突に、カバディの攻撃中でもないのにキャントを始めます。しかも僕にもそれを真似しろととは、どういうことでしょう。
「剣崎先輩、そんなことより――」
「いいからっ! カバディ、カバディ、カバディ、カバディ……!」
「……カバディ、カバディ、カバディ」
 剣崎先輩の剣幕に押され、僕はキャントします。
「カバディ、カバディ、カバディ、カバディ」
 剣崎先輩も、僕と一緒にキャントを続けます。
「「……カバディ、カバディ、カバディ、カバディ、カバディ」」
 数秒キャントを続けていると、剣崎先輩と声がそろってきました。
「「カバディ、カバディ、カバディ」」
 僕と剣崎先輩は、意味不明な言葉を、単調に繰り返します。それでも――
「「カバディ! カバディ! カバディ! カバディ! カバディ……!」」
 僕たちの合唱は、柔道場の空気いっぱいに力強いリズムを刻みました。
「……落ち着いたか? 頑張れよっ!」
 さらに数秒合唱してから、剣崎先輩はキャントを切り上げました。僕の肩をぽんと叩き、フィールドの外に出ます。
 気づいたら、関元先輩がこれ以上ないほど眉根を寄せ、ただでさえ険しかった表情をさらに険しくしていました。しかし、
「まあまあ、関元くん。楽しく行きましょうよぉ」
 門脇先輩の、間延びした声。彼女はほっこりした笑顔で僕と剣崎先輩を見比べてから、関元先輩の肩をぽんと叩きました。
 関元先輩が表情を和らげる一方、
「……試合再開」
 早苗姉えが、冷たい目を剣崎先輩に、そして僕に向けてきました。しかし僕は、
「……カバディ、カバディ」
 整った声で、キャントを始めます。重心を落としながらもしっかりと立ち、目の前の二人に向き合いました。
 関元先輩が、前に出ます。しかし僕とボールとの間隔があまりないので、門脇先輩は彼の真後ろには来られません。それどころか彼女も、今回は前に出てきます。戸惑う関元先輩の横目の目線を受けてから、
 くわっ!
 門脇先輩は、また目を見開きます。打撃の時に見せた、あの目です。
 彼女の目に弾かれたように、僕は前に出ました。同時に迎撃してくる二人。僕は彼女らに捕まりながら、脚を伸ばしました。
 ほとんどスライディングのような状態で出した足が、ボールに触れます。
 ゲートボール同好会は、これでむざむざ二点僕らに与えたことになります。しかし、
「楽しいですねぇ、カバディって」
 僕に抱き付いていた門脇先輩が、のんびりと言いながら離れました。正直、少し名残惜しいです。
 僕はまだスパーク打撃ができたのですが、鼻の下を伸ばしてしまったせいか、次はあっさりと捕まってしまいました。門脇先輩になら、一点くらいあげてもいい気がします。
 次の門脇先輩の打順。彼女は自球をそっと打ち、第二ゲートの入り口ぎりぎりに止めました。敵の球が当たっても味方の球が当たっても、押し出された自球がゲートを通過しやすい、実にいやらしい位置です。
「カバディ、カバディ、カバディ、カバディ……!」
 か細く、可愛らしいキャントをしながらも、門脇先輩は妨害する僕らに突っ込んできます。僕と剣崎先輩は慌てて捕まえますが、彼女の足はしっかりボールにタッチしました。どうやら僕のやったことを学習したようです。ゲートボール同好会に二点。
「杜生さぁん。今、何点ですかぁ?」
「……カバディ同好会十三点、ゲートボール同好会十四点です」
 門脇先輩は、早苗姉えに得点を聞いてから、
「ですって。逃げ切りましょうねぇ、関元くん」
 関元先輩に向けて、笑顔で小さくガッツポーズするのです。
「あ……ああ」
 関元先輩が、ためらいがちに彼女に同意し、
「よっし! 私たちも負けていられんなっ! 立石くん!」
 剣崎先輩も、右手の拳を左掌に叩きつけました。


 三巡目が終わり、試合時間は残り一分を切っていました。
 剣崎先輩は、自球をほんの少しだけ移動させます。さっき僕や門脇先輩がやったように、短距離で一気に突っ込んで、捕まりながら得点する作戦でしょう。遠くの二番ボールや、第二ゲート前の四番ボールは、僕や剣崎先輩の腕ではどうしようもないのです。
 それを見抜いたのか、関元先輩は彼女が突っ込んでくるなりさっと身をかわしました。しかし、見開いた目を爛々と輝かせた門脇先輩が迎え撃ちます。彼女に捕まりながら、剣崎先輩はボールにタッチして一点得点。
 これで十四対十四、再び同点です。
「試合時間終了! 二番の打順で、ゲーム終了です!」
 早苗姉えが、報告しました。競技時間が終了したときに、先攻の打者がプレイ中なら次の後攻の打者のプレイで、後攻の打者がプレイ中ならその打者のプレイで、ゲートボールの試合は終了します。この試合では、関元先輩の打順で終了です。
「……勝つぞ、門脇さん」
 関元先輩は、スタート位置から五メートルほど左、自分のボールの横でスティックを構えました。狙っている方向を見て、僕らに表情を見せずに。
 そして静かに、最小限の動きで打ちました。彼のボールは、滑りのいい畳の上をほぼまっすぐ転がります。第二ゲートのほうへと向かい、そこにあった門脇先輩のボールをゲートに通してから止まりました。
 僕たちは、最後の防御をするために、関元先輩の道を阻みます。
「カバディ、カバディ、カバディ、カバディ」
 関元先輩の張りつめた目が、声が、柔道場の空気を不思議と静かに感じさせます。
 僕と剣崎先輩は、ただじっくりと彼を待ちかまえました。二人で手をつなぎ、目いっぱい横に広がって。関元先輩が目線やステップで仕掛けてくるフェイント、それらに惑わされることはありません。
 そして――
 剣崎先輩が、くいっと僕の手を前に引きました。僕たちは、同時に飛び出します。
 関元先輩は、慌てて反応しました。そちらが抜けやすいと感じたのか、僕の横へと身体を倒し、ダッシュしようとします。
「おおおっ!」
 一匹の獣が、吠えました。
 そいつの名前は、立石圭護。年齢は十五歳。性別は男。身長は百六十八センチ。種族は人間のはずです。とある県立高校の、カバディ同好会に所属しています。
 その獣――すなわち僕は、関元先輩の片脚に前のめりに飛びつきました。彼は転倒するものの、僕に捕まった脚をすぐに引き抜きます。しかし、
「とったぁ!」
 僕が稼いだ一瞬の間に、剣崎先輩が動いていました。立ち上がろうとする関元先輩に抱き付き、押し倒します。
「カバディ! カバディ! ……くっ」
 関元先輩は、ほんの一秒だけもがいた後、悔しそうに畳を叩きました。
「試合終了! 十五対十四で、カバディ同好会の勝利!」
 早苗姉えが、宣言しました。
「がはははは! 波乱万丈あったが、とにかく勝ったぞっ!」
 立ち上がった剣崎先輩は、両手を腰に当てて野太い笑い声を上げます。
「……すまない、門脇さん。こんなふざけた奴らに……」
 関元先輩も、のそりと身体を起こしました。
 謝られた門脇先輩は、関元先輩のそばに寄ってきてしゃがみます。
「頑張りましたねぇ、関元くん」
 彼女はねぎらいの言葉とともに、関元先輩の頭をそっと撫でました。
 肩を落とす関元先輩をよそに、門脇先輩は立ち上がり、
「剣崎先輩。立石くん。ありがとうございました。カバディというのをやれて、楽しかったですよぉ。若い人たちと勝負して、私も熱くなれました」
 門脇先輩は、ややおばあちゃんっぽい台詞とともに、剣崎先輩に手を差し出しました。剣崎先輩は、一度目を丸くしましたが、
「……私こそ、ありがとう」
 ただ感謝の言葉とともに、門脇先輩の手を握り返しました。
 それを苦々しい表情で見ている関元先輩と、剣崎先輩は目を合わせます。そして気まずそうに目を逸らしていると――
「ほぅら。二人とも、仲直りです」
 門脇先輩が二人の手を取って、握手させました。剣崎先輩も、立ち上がった関元先輩も、素直に笑顔で握手を交わします。
「……剣崎先輩。認めざるを、得ませんね」
 僕ものそりと立ち上がりながら、剣崎先輩に声を掛けます。
「何をだ、立石くん? 偉そうに上から目線で」
「……楽しいですね、カバディ」
 僕がぽつりとこぼすと、剣崎先輩は、また目を丸くして――
「だろっ!」
 満面の笑みを、浮かべました。……そしてすぐに、畳に両膝と両手をつきます。
「立石くん。……よく考えたら私たち、カバディそのものはしてないよな」
「今さら気づいたんですか?」
 沈んだ声でぼやいた剣崎先輩に、僕は突っ込みました。
「……試合は終わったんだから、片付けをしましょうね?」
 早苗姉えの、凍り付くような声。彼女は目が笑っていない笑顔で、僕と剣崎先輩とを見比べていました。


 試合場を片付け終え、着替えも終えて、僕たちは昇降口に向かいました。制服のまま審判をして着替える必要のなかった早苗姉えは、先に出ています。
 僕たちは、並んで廊下を歩きます。
「それにしても、立石くん。剣崎先輩みたいな可愛い女の子と、手をつないだり合唱したりしたのに……なんか、あまりどきどきしてるように見えませんでしたねぇ?」
 門脇先輩が、首を傾げながら聞いてきます。
「…………」
 僕は、試合中のことを――さっき剣崎先輩と一緒にしたキャントのことを思い出しました。なぜだか顔が熱くなったので、
「……この人、地球人の女性なんですか? 僕はてっきり、カバディ星から来たカバディ星人だと思ってました」
 剣崎先輩を指差しながら、話を逸らしました。
「何を言うかっ! そんな素晴らしい星の生まれなら、私はずっとそこでカバディしてるっ! よって私は地球人! 以上証明終わりっ!」
 剣崎先輩は、胸を張りながら言い返しました。
「まったく……。こんな人たちと、これから掛け持ちし合うのか……」
 そんな関元先輩のぼやきが、聞こえた気がしました。
 昇降口を出て、見上げた空は相変わらず曇っていました。しかし空一面を薄く覆う雲には切れ目が入っていて、そこから差し込む日差しが光のカーテンを作っています。
 僕の人生にも、光が差してきた気がする――そんな恥ずかしい台詞の一つも、脳内に浮かんできたところで、
「圭護くん」
 昇降口を出てすぐ横にいた早苗姉えに、呼び止められました。僕は彼女を見て、剣崎先輩たちの視線――怯えた視線や、怪訝(けげん)な視線が入り混じっているでしょう――を感じます。
「帰ったら、しっかり勉強しようね? この放課後の遅れを、取り戻さなきゃ」
 早苗姉えの、怖いぐらい曇りない笑顔の美しさに身震いしながら、僕はうなずくのでした。