「怖かった……。本当に怖かった……」
 先日の恐怖体験から、さらに三日後。私はももせと下校しながら、自分の身体を抱きしめて震えていました。
「まだ言ってる……。もうそんな変なところ、行っちゃ駄目だって。ほっときな」
 私の隣で、ももせは呆れ顔とともに肩をすくめます。
 そのとき、ちょうど私たちは例のマンホールのそばを通りかかっていて、
「そうするかな。今度は、あの蓋が動いてても――」
 私がそう言いかけたとき、ちょうどそれは動いていました。しかし――
 かたん……。かたん……。かたん…。
 サインが来たという合図――マンホールの蓋の上下動が、
「やけに弱々しいな……。やっぱり気になるよ、ももせ」
「ああもう……。どうなっても知らないよ、あたしは」
 そして、再び私が蓋をずらすと、
「未来……。助けて、ください……」
 その姿が見えるなり、サインは消え入るような声を漏らしました。私を見上げる、捨てられた子犬のような両目の下には、立派なくまができています。
 彼女のやつれた姿を見て、私の心臓が飛び上がりました。
「ど、どうしたの、サイン? ムリラに何かひどいことされた?」
「いえ……。警備を強化したので、彼女は現在も獄中ですが……。ここ数日、就寝時間になっても、さみしくて眠れないのです……。今まで、こんなことなかったのに……。恥ずかしながら、未来が一緒にいてくれたら、眠れるのではないかと思ったのです……」
 そう語る途中で、サインの目にはじわりと涙がにじんでいきます。一方で、私の後ろからは、ももせが「未来。駄目だって」とささやきながら袖を引っ張ってきます。
 数秒間、足元のサインに「未来……?」と名前を呼ばれたり、後ろのももせからも「未来!」と呼ばれたりして、動けない状態が続いてから、
「ああもうずるいなぁ! そんなマジ泣きされちゃほっとけないじゃん!」
 私は髪をわしゃわしゃとかき回しながら、サインへの敗北宣言をするのでした。それを聞いた王女様の顔が、ぱっと輝きます。
 というわけで、「困った女の子をほっとけないなんて、ラノベ主人公か!」というももせの突っ込みを受けながら、私はサインとともにマンホールに潜りました。


「国民に範を示す王女として、情けない限りなのですが……。最近、布団に入っても不安ばかりが頭の中でぐるぐると渦巻いて、寝付けないのです。今まで、こんなことなかったのに……」
 そう言いながら下水道を歩くサインの足取りは、明らかにふらついています。
「ああ、眠れない時って、そういうことあるよね。ちなみに、どんな不安があるの? よかったら聞かせて」
 私がそう聞くと、少し間をおいてから、
「……未来の、ことです」
 恥ずかしそうに、小声でサインは答えました。
「わ、私の?」
「はい。最初に来た時も、この前来た時も、地上のことを優先して帰られていたようなので……。もう二度とあなたがアツパーユに来ることはないのではないか、そう思うと、胸が張り裂けそうな思いがするのです。同い年の友達ができたのは、初めてですから……」
「…………」
 たった二回会っただけで、えらく好かれたなぁ。そう思いつつも、嬉しくないといえば嘘になるので、
「えい!」
 私は、狭い通路で強引にサインと肩を組みました。「み、未来?」と戸惑いの声を上げる彼女に、
「寵愛をお受けすることができ、光栄です王女殿下! 一晩ご一緒せよとの件、快く承りました!」
 正しいかどうかは分からない敬語で、きざなセリフを吐くのでした。それに応えて、
「未来……」
 サインもまた、ほっとした声を漏らしました。


 アツパーユに入った後、ちょうど食事の時間だったらしく、また食べていくことを勧められて――その食事は、ある意味一生忘れられないものになりました。木の根やミミズや土の料理のみならず、めったに食べられないごちそうだという、ネズミの丸焼きのインパクトが強烈です。次に来るときは、ちゃんと食料を用意してくるべきだと、私は学習しました。
 その後、玉座の間の隣のサインの寝室で、お風呂がないので簡単に身体を拭いて、用意してもらっていた寝巻に着替えると、
「看守を交代制にして、警備が途切れぬようにしたのは誉めてやろう! だが睡眠不足で居眠りするものが出たのは失敗だったな! サイン、今度こそ私に服従――」
 ムリラたちが、取り巻き四、五人ほど(今回は、それくらいしか逃がせなかったようです)と一緒に元気よくわめきながら玉座の間まで攻めてきたので、
「うるさい寝かせろ」
 ごんばきどかごすっ。
 私は彼女らをさっさと片付けて、あくびを一つしてから、寝室に戻りました。


「誰かと一緒に寝るのは、久しぶりで、その……。粗相のないように気を付けますので、よろしくお願いします、未来……」
 ベッドに正座してもじもじするサインは、明らかに緊張していました。私は図々しくベッドに潜りこんで、どさりと仰向けになってから、
「そんな遠慮しなくていいんだよ! ここの主はサインなんだからさ!」
 彼女に気を使わせないように、頭の後ろで両手を組んで思い切りくつろぎました。ほっとしたように微笑んだサインが私の隣に寝て、二人で一緒に掛け布団を被ります。
 ランプに淡く照らされた、薄暗い部屋で、
「そう言えば、この前我が国の建国神話について話しそびれたので……。寝るまでの間に、お話してもいいですか? 未来……」
「あ、ああ……。今はそれより聞きたいことがあるから、次の機会にゆっくりと聞かせてもらうよ」
 私はサインの申し出を、丁重に断ってから、
「……私はときどき、あの地上の友達、ももせのところにお泊りするけど……。サインにとって、誰かと一緒に寝るのは、どれくらい久しぶりなの?」
 そう尋ねました。
「そうですね……。小さい頃は、お母様が一緒に寝てくださったのですが……。もうよく覚えていないくらい、昔のことです」
「そっか……。お母さんを早くに亡くして、辛かったね……」
 私はサインのさみしい思いを察したつもりで、ベッドの中で彼女の手を握ったのですが、
「いいえ、お母様はまだ、ご存命なのですが……。ただその……。私を愛でてくださるお母様の姿と、甘える私の姿を見るお父様が、何と言うか、妙に興奮されたご様子で……。それを気味悪く感じられたお母様は、お父様と離婚して一般の人になられたのです」
「…………」
 彼女が返した答えに、言葉を失いました。そう言えばあの王様は、以前サインが私にお礼を言っていた時もいやらしい目つきをしていた気がしますが、自分の娘で百合妄想する趣味でもあるのでしょうか。どうもこの国、変な趣味の人が多い気がします。
「ま、まあとにかく、それはそれで辛いよね……。私なんかでよかったら、さみしいときに呼んでもらえると嬉しいかな……」
「はい……。これからも、よろしく……。お願い……します……。未来……」
 サインはそう途切れ途切れに口にして、私の手を握り返してから、すーすーと寝息を立て始めました。
 彼女と手を握り合ったまま、その安らかな寝顔を見ていると、私にもすぐに眠気が襲ってきました。


 数時間後、地上では朝になっている時間に目覚めると、寝室のドアの隙間から王様のいやらしい目がのぞいていて鳥肌が立ったのですが、それはまた別の話です。