『カバディ』
 ホールの暗闇の中に、意味不明な言葉が響きました。
『カバディ、カバディ、カバディ、カバディ――』
 その言葉が続くほどに、ホール中に満ちるざわめきの声がだんだんと静まっていきます。
 僕は、ステージの中へと足を踏み入れます。同時に反対側、ステージ上手側の袖からは、
『カバディ、カバディ、カバディ』
 キャントをしながら、剣崎先輩が出てきます。ステージが、ゆっくりと明るくなりました。
 右側にちらりと横目をやると、客席を埋め尽くす何百人と知れない未来の後輩たちの目が――そして、最前列の席に座っている生徒会役員、そのトップである早苗姉えの目が、僕たちを見守っているのが見えました。
『カバディ、カバディ、カバディ、カバディ』
 僕は剣崎先輩に負けじと、キャントを始めましたが、
『君はそれを言わなくていいんだっ! どっちが攻撃側か分からなくなるっ!』
 剣崎先輩に、キャントを中断してまで突っ込まれました。
『すみません、先輩。先輩の熱いキャントに、負けてられないと思いました』
 僕がしれっと応じると、客席から失笑やため息が漏れました。
『カバディ、カバディ、カバディ、カバディ、カバディ――』
 僕は剣崎先輩のキャントを聞きながら、ステージの上で彼女と睨み合います。お互い軽く腰を落として身体を左右に揺すり、隙をうかがいながら。
『えー、このように攻撃側は「カバディ」と連呼しながら――これを「キャント」と言いますが――相手にタッチして、防御側はそれを捕まえる、それがカバディの基本的なルールです。……あ、カバディはこの競技の名前でもあります。ご存じない人がいたら、念のため』
 ときおり剣崎先輩がタッチしてくる手をかわしながら、僕は説明します。
『もう少し順序立てて説明しろっ!』
『はい、こんな風にキャントを中断したらアウトです。今日はあくまでデモンストレーションなので、このまま続けます』
 僕は客席に目を向け、剣崎先輩を掌で指しながら、彼女の突っ込みに切り返しました。さっきよりも、少し大きい笑い声が聞こえてきます。
『……カバディ、カバディ、カバディ』
 剣崎先輩は気を取り直してキャントを再開し、手を伸ばしてきます。そのタッチを、僕はあえて受けました。
『自陣に帰るまでがレイドだっ!』
 僕が突然上げた叫び声に、素早く上手側への逃走を始めていた剣崎先輩は身をすくめました。客席からも、おおっ、というざわめきが聞こえます。
『びっくりさせるなっ! そんなこと分かってるっ!』
『未来の後輩たちは、分かってないでしょ? ――レイド、つまり相手にタッチする攻撃をする選手をレイダー、タッチされる防御側をアンティと言います。レイダーはアンティにタッチして帰れば、タッチした人数分得点できますが――』
 僕は説明しましたが、その間に剣崎先輩は、さっさとステージの上手側の袖まで駆けこんでいました。
『ちょっと先輩! 戻ってきてください!』
 僕が慌てて彼女を呼び戻すと、客席からはまた笑い声が漏れました。だんだんと、そのボリュームは大きくなってきている気がします。
『なんだっ! 君が真剣にやらないから、敵を逃すんだぞっ!』
 剣崎先輩は、ずかずかとステージに戻ってきます。
『今はルール説明です! ……えー、それでは、レイダーが自陣に逃げるところから』
『……カバディ、カバディ』
 剣崎先輩は、再びキャントしながら、上手側に逃げます。あくまでルール説明なので、ゆっくりと走っていました。
『……アンティにも、得点のチャンスはあります。このように――』
 僕は説明しながら、剣崎先輩を追いかけて捕まえようとしました。……しかし、後ろから見ても脂肪も筋肉もしっかりと付いた彼女のどこを捕まえようか、一瞬困ったので、
『……このようにレイダーを捕まえれば、その人をアウトにして一点』
 僕は、剣崎先輩の手首を捕まえてから説明しました。ボクシングの試合で審判が勝者にするように、掴んだ彼女の手を高く掲げます。
『以上がカバディの、大まかなルールです。分かりやすい競技ですが、僕らの説明のせいで分かりにくかったらごめんなさい』
『分かりやすいだけじゃないっ! 本当はこんなぐだぐだじゃない、熱い競技なんだっ! ――それと立石くん! いつまで掴んでるんだっ!』
 顔を赤くした剣崎先輩に突っ込まれて、僕は彼女の手首を握ったままだということに気が付きました。慌てて飛びすさりながら手を放すと、客席は大笑いする声に満たされました。
『えー……。以上、カバディ同好会、立石圭護と』
『部長、剣崎つむぎがお送りしましたっ! というか、まだ全然カバディの魅力を説明し足りんっ! そもそもカバディの成り立ちから説明せねば――』
『はいはい先輩。それはうちの学校に入って、カバディ部に入ってくれた後輩たちに、思う存分教えてくださいね』
 拳を握って熱弁を開始しそうになった剣崎先輩の肩を、僕はぽんぽんと叩きます。
ホールがもう一度、大笑いに満たされました。その中で、門脇先輩、関元先輩、四方谷先輩、兼光さんの四人が、舞台袖から出てきます。
『未来の後輩の皆さん。唐突なデモンストレーションに戸惑われたかと思いますが、わが校にはこうした個性的な同好会もあります。部への昇格には人数だけでなく活動実績が必要であるため、先輩がたは日々自分を磨いているのです』
 関元先輩が今まで僕らがやったことを説明して、門脇先輩がうんうんと他人事のようにうなずきます。……それは本来、部長である彼女の仕事のはずですが、関元先輩のほうが適任なのはもはや分かり切っています。
『ま、個性的すぎて玉に瑕(きず)だが……。ユニークな同好会でユニークな活動をして、それがユニークな部に育てば、推薦入試にもお得だぞ!』
 四方谷先輩が、にこにこ笑顔の兼光さんをちらちらと横目で見ながら説明しました。台詞の最後には、サムズアップしながらもどこか上ずった声で言い切ります。
『だが、やはりカバディが一番! 後輩諸君! わが校に入学した暁(あかつき)には、カバディ部にどしどし入部してくれたまえっ!』
 剣崎先輩が、両手を腰に当ててどや顔で言い切った言葉に、僕らはみんな「ないない」と言うように首を横に振りました。
 どっと笑いだした後輩たちをおろおろと見回す剣崎先輩の背中を、僕は叩きます。
『以上、お見苦しいものを……いや、わが校の同好会、その一部を紹介させていただきました。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました』
 僕が最後のあいさつをすると、剣崎先輩が文句ありげな目で見てきます。しかし、僕が彼女を肘で小突くと、微笑みが返ってきました。僕は慌てて、少し熱くなった顔を前に向けます。
 僕が腰を折って頭を下げると、他のみんなも続けて頭を下げました。
『『『『『『ありがとうございましたーっ!』』』』』』
 声をそろえてあいさつした僕たちを、客席じゅうから響いてきた拍手の音が包み込みました。


「よろしければああああああっ! アンケートへのご協力、お願いしまああああああすっ!」
広いロビーに、剣崎先輩の声が響き渡りました。僕が入学した日の勧誘と同じに、軽く涙目になって必死の様子です。
 僕たちは、多目的ホールの玄関ロビーに集まっていました。剣崎先輩、関元先輩、四方谷先輩が投票用紙の束を、僕、門脇先輩、兼光さんが投票箱を持っています。僕らが不正をしないように、早苗姉えも付いていました。
 ガラス張りの玄関から、薄く曇った空の明るい光を取り込むロビーで、
「ビデオでの部活動紹介と、僕たち同好会の紹介のパフォーマンスと――魅力を感じたほうに、一票をお願いします」
 大ホールから続く幅広の階段をぞろぞろと下ってくる中学生たちや保護者のかたがたに声を掛けながら、関元先輩が投票用紙を差し出します。その落ち着いたよく通る声や、白い歯を見せながらの微笑みに、女子生徒やお母さんらしい女性たちが――ときどきは、男子生徒が――頬を染めながら用紙を受け取りました。実に罪なイケメンです。
「難しく考えんなっ! どっちが面白かったか、素直に答えていいぞ!」
 笑顔で声を張り上げる四方谷先輩の前で、中学生数人が投票用紙に丸を付けました。
 そう。これが、今回の勝負の方式。未来の後輩たちに向けた部活動紹介で、面白かったほうが勝ち。部活動に力を入れているわが校の魅力をよりアピールできるのはどちらか、というプレゼン力の勝負です。生徒会との勝負を成立させるための、ぶっちゃけて言えば苦肉の策です。
 ちなみに用意した大量の投票用紙は、剣崎先輩が勧誘に使った(というか、作ったはいいけどほとんど余らせた)チラシの裏面で作りました。一ページにつき六つ枠を作って印刷してから、それを切り分けたのです。剣崎先輩は頑張って絵を描いたチラシを裏紙扱いされて涙目で抗議しましたが、資源の節約のほうが優先です。
「ちょっと丸をつけて投票するだけなので、めんどくさくないですよぉ」
 門脇先輩がほっこりとした笑顔とともに差し出す投票箱に、ときどき生徒や保護者が足を止めて用紙を入れていきます。
「お願いですっ! 投票してください!」
 小さな手で投票箱を差し出す兼光さんが、必死な表情と、くりくりした可愛らしい声で呼びかけると、そのたびに純情そうな男子中学生が――ときどきは女子が――「はうっ」などとリアクションしながら足を止めていきます。自分の魅力で「仕留められそう」なターゲットに、無意識に狙いを絞っているのでしょうか。末恐ろしい子です。
 僕も、他のみんなに負けていられません。
「僕たち同好会に、清き一票をお願いします! 僕らが勝った暁には、部活の権限を生徒会と同等に強化したり、優秀な部活の部員には推薦に必要な最低限以外の勉強を免除したり、その他さまざまな特典を――」
 僕が気前よく並べ立てる公約に、中学生や保護者のかたがたは苦笑したり白けたりしながら通り過ぎて――ときどきは、足を止めて票を入れてくれます。
「立石くんっ! 政治家じゃないんだから、できもしない約束を安売りするなっ! 未来の後輩たちにとって、今日見せた私たちの姿が全てだろう!」
 剣崎先輩が、投票用紙を抱えたまま肘で小突いてきます。
「だからこうして、ラストスパートでなりふり構わない姿を見せてるんでしょ? 何が何でも勝つという姿勢を、後輩たちに示してるんです」
 僕が反論すると、剣崎先輩は鼻で吹き出しました。
「まったく……こんなときまで、口の減らない奴だな。高校最後の部活動の残り数か月、せいぜい退屈させてくれるなよ?」
 彼女は、苦笑いしながら首を横に振ります。
「ろくに部活できなかった一学期も、剣崎先輩一人で勝手に騒いでたじゃないですか。やっと活動らしい活動できそうな今からの時期、退屈なんてさせませんよ」
「そうかい? 期待してるぞっ」
 剣崎先輩は、もう一度僕を肘で小突きました。彼女の声の弾み具合が気になっていると、
「…………」
 横合いから冷たい目線を感じ、僕は身震いします。
 早苗姉えが、据わった目で僕と剣崎先輩とを見比べていました。
「…………」
 僕が生唾を飲み込み、早苗姉えの目を堂々と見返すと、彼女は何かを諦めたように前を向きました。
 僕も、僕らのパフォーマンスを見た後輩たちの人波に向き合います。
 僕の抱える投票箱に、また一票が入りました。


 その日のうちに学校に戻り、生徒会室で開票作業に移りました。お互い不正をしないように、僕らと早苗姉えと共同で行います。
 三時ぐらいから夕方まで時間をかけて、僕らが集計した結果は――
 総投票数・六二七票。
 有効票・六一五票。
 生徒会の得票・二四六票。
 そして、僕ら三同好会の得票――三六九票。
 二対三程度の得票数で、僕らが勝ちました。
 早苗姉えがホワイトボードにその結果を書き出すなり、
「やったぞ、門脇さん……!」
「やりましたねぇ、関元くん」
 感極まったような顔で拳を握りしめる関元先輩に、門脇先輩がのほほんと応じ、
「勝ちました! 勝ちましたよ、小梅さん!」
「あ、ああ……。私らの勝ちだ、未仁美!」
 勢いよく抱き付いてきた兼光さんを、四方谷先輩が一度戸惑ってからしっかり抱きしめ返し、
「「いぃい……よっしゃあああああああああああああああああああああああああああああっ!」」
 僕と剣崎先輩も、思わず同時に歓声を上げながら、同時に拳を振り上げました。
「…………」
 少し気恥ずかしくなり、僕らはさっと拳を降ろし、お互いに目を逸らします。すると、
「…………」
 早苗姉えが、のそのそと棚から書類を取り出していました。その姿を僕が目にするなり、他のみんなも黙ってその姿を見守ります。生徒会室の奥で、晴れてきた空、明るいオレンジ色に染まった窓を背にして、うつむいた彼女の表情は影に隠れてよく見えません。
 早苗姉えはのそのそと書類に署名し、のそのそとポケットから取り出したハンコを押します。それをあと二枚分繰り返し、
「……生徒会長として、承認します。カバディ部、ゲートボール部、サバイバルゲーム部の新設を」
 うつむいたままで、署名と捺印(なついん)の済んだ三枚の部活動新設願いを、僕らに見せました。
 僕らが再び小さく歓声を上げる中、早苗姉えは顔を上げ、
「剣崎先輩」
 一人を名指しで呼びました。僕と剣崎先輩とを見比べる彼女の笑顔は、嫌に晴れやかです。
「そっちでは、負けませんから」
 早苗姉えの意味不明な言葉に、僕はまた一つ身震いします。
 剣崎先輩も、首を傾げて数秒間考え込んでいる様子でしたが、
「……いいだろう! 受けて立つぞっ、杜生さん!」
 彼女は腕組みして、どや顔で答えました。