「これより、カバディ対ゲートボール統一ルール競技――『ゲボディ』の試合を開始します」
 早苗姉えは、試合開始を告げながら、ストップウォッチを始動させました。柔道場の隅で、剣崎先輩が貯金のほとんどをはたいて買ったというビデオカメラが僕らの姿と、柔道場全体を写しているはずです。
「……もう少しましな競技名、なかったんですか? いっそ競技名自体、付けなくてよかったんじゃ……」
 げんなりする僕の隣で、剣崎先輩がどや顔で胸を張ります。胸自体でもポーズでも、いちいち自己主張の激しい人です。
「『ゲ』ート『ボ』ールとカバ『ディ』とを短い一言にまとめた、いい名前じゃないかっ! さて、カバディ部部長、剣崎つむぎ! 参るっ!」
 剣崎先輩は、必要もない名乗りを無駄に雄々しく上げてから、スタート位置に着きました。
コイントスで決めた攻撃順は、僕らが先攻。剣崎先輩は、「1」と書かれた赤いボールを足元に置きました。長さ六十センチほどの柄のついたハンマーのようなスティックで、スタート位置から正面へとそっと打ちます。
 ボールは畳の上、そしてその継ぎ目を目張りしているテープの上をころころと転がり、三メートルほど先のゲートを通過。それから少し先で、止まりました。
「一番、第一ゲート通過!」
 ゲート脇に立つ早苗姉えが、報告します。
 こうして、フィールド上に置かれたゲートを逆時計回りの方向に通過していき、そのたびに一点得点。最後にフィールド中心にあるゴールポールに当てると、二点得点して上がり。昨日関元先輩が説明してくれた通り、それがゲートボールの基本的なルールです。しかし、勝つためには仲間と連携したり敵を妨害したりする必要があって、一筋縄ではいかないそうです。
 それに、もう一つ面倒な点が、今回のルールにはあります。
 関元先輩と門脇先輩が、剣崎先輩と一番ボールとの中間の位置に移動しました。二人で手をつなぎ、両腕を広げて待ちかまえます。試合が始まってものほほんとした笑顔のままの門脇先輩と、少し顔を赤くして緊張気味の関元先輩とのコンビが、微笑ましいですね。
 剣崎先輩は、スティックをその場に置き、
「カバディ、カバディ、カバディ――」
 ほどほどの声量でキャントしながら、敵二人に迫ります。
「カバディ、カバディ、カバディ、カバディ、カバディ……」
 一人と二人は、腰を落として身体を左右に小さく揺すりながら、睨み合いを始めました。
 ときおり剣崎先輩が手や足を二人に伸ばし、関元先輩がそれを素早くかわしたり、門脇先輩がまんまとタッチされたりします。斬るか斬られるかといった雰囲気が三人(いや、約一名は除きます)を包み、さながら格闘技の試合です。
「カバディ、カバディ……」
「――門脇さん!」
 睨み合いが始まって十秒ほどして、関元先輩が叫びました。彼は門脇先輩と一緒に前に出て、二人がかりで剣崎先輩を捕えようとします。
 出遅れた門脇先輩の横を抜けて、剣崎先輩はボールまで一気にダッシュ。悔しそうな顔で振り返る関元先輩と、のんびり振り返る門脇先輩を尻目に、足でボールにタッチしました。
「ボールタッチ! 打撃成立! カバディ同好会に二点!」
 早苗姉えが、報告しました。
 そう。これが「ゲボディ」――気持ち悪い響きです――の特別ルール。攻撃側の打者は、打った後防御側の選手をかいくぐってボールにタッチせねばならず、さもなくば打撃は無効。しかしボールにタッチできれば打撃が有効となり、なおかつ途中でタッチした敵の人数分も加点されるという仕組みです。
 剣崎先輩は今回、ゲートを通過して一点、門脇先輩にタッチして一点、計二点得点しました。
「よっしゃ! 幸先いいぞっ、立石くん!」
 小さくガッツポーズする剣崎先輩のもとへ、僕はスティックを持って行ってあげました。これを持ったままでカバディをやると、危ないのです。
 ゲートを通過したボールは、もう一度打つことができます。剣崎先輩は、スタート位置と反対側の長辺の中間近く、そこにある第二ゲートの右斜め手前までボールを打ちました。
 剣崎先輩はさっきと同じように、阻止してくる二人を門脇先輩の側から――もちろん、門脇先輩にちゃっかりタッチして一点入れてから――抜けてボールにタッチ。そして僕のところに戻ってきます。
 次の打順は、関元先輩です。彼は「2」と書かれた白いボールを打ち、難なく第一ゲートを通過させました。その間に、
「剣崎先輩、どうして一気に第二ゲート通過しないですか?」
「その方が、後から来る敵を妨害しやすく、味方のプレイの助けになるからだよ。それより行くぞっ、立石くん」
 僕は剣崎先輩と少しだけ会話してから、彼女と一緒に、関元先輩と二番ボールとの間に立ちふさがるのです。……剣崎先輩と手をつないでフォーメーションを組んだとき、早苗姉えの視線が背中に突き刺さってきて、背筋が凍る思いをしました。
「カバディ、カバディ、カバディ、カバディ」
 関元先輩も、意味不明の言葉を連呼しながら、僕らに迫ってきます。彼が僕を見た瞬間、
「ふっ!」
 剣崎先輩が、僕とつないでいた手を放して一気に飛び出しました。慌てて身をよじる関元先輩に、猫科の肉食獣のように姿勢を低くして飛びかかります。逃げきれずに脚を捕えられた関元先輩が、前に倒れました。
「キャッチ成功! 打撃不成立! カバディ同好会に一点!」
 早苗姉えが、報告します。
 カバディでは、防御側は攻撃側の選手を捕えると一点入るので、そのルールを適用することになりました。攻撃でも防御でも得点できて、お得なルールです。
 関元先輩は、しぶしぶといった表情で自分のボールを拾い、スタート位置に戻りました。
 次の打順は僕です。剣崎先輩と一緒に、スタート位置に戻りながら話します。
「それにしても、ゲートボールの戦術なんてよく知ってますね」
「『よく知ってますね』じゃないっ! 昨日君も勉強しただろう! 勝負する以上、敵のことも知り尽くして当然だっ!」
「この勝負に、マジになってますね。肝心のカバディでも、先輩がマジになりすぎて他の人が辞めちゃったんじゃないですか?」
「どうして分かっ……うるさいなっ! いいからさっさと打てっ! 試合時間、十五分しかないんだぞっ!」
 両拳を上下に振る剣崎先輩にせかされていると、視線を感じました。早苗姉えが僕たちを睨んでいましたが、僕と目が合うとすぐに笑顔になります。
 僕は身震いしながら、「3」と書かれた赤いボールをスタート位置に置きました。ボールの横に、打ちたい方向に対して横向きに立ち、足を肩幅に開きます。
 早苗姉えの目線を感じながら、震える手でスティックを軽くボールに当て、振りかぶり――
 かんっ!
 思い切り振り抜きます。ボールはゲートを通過したものの、ビニール製の畳表(たたみおもて)の上を勢いよく転がって、フィールドの外に出ました。思い切りがよすぎたようです。
「何をやってる、立石くん!」
「いやあ、早苗姉えが見てると、いい加減な試合はできないと思いまして! ちょっと力が入りすぎましたねぇ!」
 なじってくる剣崎先輩に、僕は答えます。優しい幼馴染が見守ってくれているのに、どうして声が震えるのでしょう。
 僕が自球を回収している間に、門脇先輩の打順です。彼女は「4」と書かれた白いボールを、スタート位置から第一ゲートに通します。
 スティックをのんびりと置いた門脇先輩の前に、僕らは立ちはだかります。
「カバディ……カバディ……カバディ……」
 ゆっくりながらも、ちゃんと途切れなくキャントする門脇先輩に対し、
「立石くん!」
 剣崎先輩は、つないだ僕の手をくいっと引きました。そして僕たちは同時に前に出て、門脇先輩を捕えようとしましたが、
「カバディ……!」
「はうっ!」
 健気にキャントを続けながらも、門脇先輩は悲鳴のような声を上げて身をすくめました。そのか弱い姿に、僕の胸がきゅんっと締め付けられます。なんだか目の前に、きらきらした霧のようなものさえかかって見えました。
「カバディ……カバディ……!」
 思わず足を止めた僕の腕の下を、門脇先輩はにへら顔ですり抜けていきました。
「くそっ!」
 剣崎先輩は、僕の手を離しました。とてとてと走る門脇先輩に追いすがり、飛びかかります。彼女に後ろから抱き付きますが、
「カバディ! ……カバディ!」
 門脇先輩は、キャントを続けます。彼女が前に出した足がボールに触れ――
「ボールタッチ! 打撃成立! ゲートボール同好会に二点!」
「間に合わなかったかっ……!」
 早苗姉えの報告と同時に、剣崎先輩が悔しがりました。……それと早苗姉えの冷たい目が僕に向いてきて、僕はまた一つ身震いします。
 カバディでは、攻撃側選手が捕まっても、そのとき指一本でも自チームのコート側に戻っていれば得点できます。ゲボディ――本当に、この名前嫌なのですが――のルールでも、ボールタッチの成立は似たようなルールにしました。
 この場合、剣崎先輩に捕まりながらもボールにタッチした門脇先輩は、むしろ剣崎先輩をタッチした扱いで一点。さらにゲート通過で一点、合計二点なのは言うまでもありませんね。
「やりましたよぉ、関元くん」
 門脇先輩は、のんびりとガッツポーズしました。彼女がボールにタッチしたとき蹴ったらしい第一ゲートが、ひしゃげています。普通ゲートボールで使う金属製のゲートなら、彼女は足を怪我していたかもしれません。
「タイム! ゲートを修繕(しゅうぜん)してください!」
 早苗姉えは宣言し、ストップウォッチを一時停止させました。……そしてまた、ぎろりと僕と門脇先輩を一睨みします。門脇先輩のか弱さにやられた僕を、心配してくれているのでしょう。本当にいい幼馴染です。
「何てざまだ、立石くん! ここまで使えん奴だとは思ってなかったっ!」
 僕は、剣崎先輩のお叱りを受けました。
「だだだ、大丈夫! 調子狂う人たちと当たって、まだ全力が出せないだけですよ! ささ、早苗姉えが見てる以上、そのうち本調子になりますって!」
 僕は彼女に、ガッツポーズを向けました。奥歯ががちがち鳴るのは、きっと武者震いです。
「……オーケー立石くん、私が悪かった。もう少し気楽にな」
 剣崎先輩は、なぜだか憐(あわ)れみをその目に浮かべながら、僕の肩をぽんぽんと叩きました。
 僕と剣崎先輩はそんな調子で、門脇先輩もほけーっとしていたので、関元先輩が一人でゲートを直しました。そして、
「試合再開!」
 早苗姉えの宣言とともに、あと一回打てる門脇先輩は第一ゲートの少し先、ボールの元へ歩いていくのです。
 門脇先輩は、第二ゲート辺りを狙ってスティックを構え――
 くわっ!
 普段糸のように細めている目を、見開きます。
 彼女が静かに打ったボールは、ゆっくりと畳の上を転がり――
 かちん。
 剣崎先輩の一番ボールに、そっと当たりました。
「四番、一番にタッチ!」
 早苗姉えの報告。自分のボールを他のボールに当てると、スパーク打撃というちょっとしたボーナスが付きます。
「カバディ……カバディ……カバディ……」
 ボールへと移動する門脇先輩の前に、僕と剣崎先輩は再び立ちふさがります。門脇先輩は、僕らの前でびくびくっ! と身をすくめました。慌てて手を引っ込めた僕の横を、彼女はしれっと通過していきます。
 門脇先輩は、後ろから剣崎先輩に脚を捕らえられました。前に倒れながらも、捨て身で手を伸ばしてボールにタッチ。一点獲得して、次の打撃に移ります。
 門脇先輩は一番ボールを拾い、自分の四番ボールの横にくっつけました。四番を踏みつけながら打って、一番をそっとフィールドの外に弾き飛ばします。
「一番、アウトボール!」
 早苗姉えが報告しながら、一番ボールをアウトになった場所近く、ラインの少し外側に置きました。
 これがスパーク打撃と言って、仲間のボールや敵のボールを都合のいいポジションに移動させられるのです。昨日関元先輩がそれを説明していた辺りで僕が居眠りして、剣崎先輩にチョップで叩き起こされたのはいい思い出です。
 もっともそのスパーク打撃さえ、このゲボディ――いい加減、この名前受け入れたほうがいいですね――のルールにおいては、カバディの攻撃によって成立させないといけません。
打撃を成立させるため、門脇先輩は少し後ろに下がり、それを妨害する僕らは彼女とボールとの間に入ります。……しかし、僕はまた門脇先輩のか弱さにやられました。
 今度は剣崎先輩と一緒に彼女を捕えましたが、彼女の怯(おび)え顔や、柔らかくていい匂いのする身体に押し負け、足でのボールへのタッチを許してしまいました。これで打撃成立、ゲートボール同好会に二点入ってしまいました。そして早苗姉えの冷たい目線。
 スパーク打撃が成立すると、もう一回打撃ができます。門脇先輩は、自分のボールをラインのすぐ内側、アウトになった一番ボールのすぐそばに寄せました。
 そして僕と剣崎先輩の防御が、また僕のせいで失敗したのは言うまでもありません。ゲートボール同好会に、さらに二点。
 打順が一巡りして、僕らとゲートボール同好会との得点は四対七。実に倍近い点差を付けられてしまいました。
 残り時間は十分ほど。第二ゲート近くのライン際には門脇先輩のボールがあり、そのすぐ外には剣崎先輩のボール。僕と関元先輩のボールは、まだスタート位置を出ていません。
 剣崎先輩は、アウトになった自分のボールを、門脇先輩のそれに当てないように打ちました。アウトから打ち入れられたボールは、他のボールへのタッチやゲート通過は無効とされます。門脇先輩はそれを踏まえ、絶妙に邪魔になる位置にボールを打っていたのです。
 フィールドに入ったボールは、第二ゲートから下がったところ、四番ボールより遠くに止まりました。
 剣崎先輩は、また関元先輩と門脇先輩の妨害をかいくぐり、ついでにタッチで一点を入れながら打撃を成立させました。しかし、これで今回の彼女の打順は終わりです。
 次の打順は、関元先輩です。彼が再び第一ゲートに通したボールへの道を、僕らは阻(はば)みます。
「カバディ、カバディ、カバディ、カバディ、カバディ……」
 キャントしながら迫ってくる関元先輩と、僕らは向き合います。
 数秒睨み合って、彼は剣崎先輩のほうに目線を向け、片足を出しました。
 僕は慌てて彼を捕えようとしましたが、
「フェイント――!」
 剣崎先輩が叫びます。同時に関元先輩は僕の横、剣崎先輩とは反対側にダッシュしました。ほとんど予備動作もありません。前に出てたたらを踏んだ僕の肩にタッチし、関元先輩は走り去りました。
「見送る!」
 剣崎先輩は、慌てて振り返った僕の手を引きます。そのときには、関元先輩はもうボールにタッチしていました。これでゲートボール同好会に二点。僕が彼を捕まえても、徒労に終わったでしょう。
 さらに関元先輩は、剣崎先輩のボールに自分のボールを当て、スパーク打撃でまたアウトにします。その間、僕らは二回関元先輩を阻止しようとしました。
 関元先輩は、一度目はフェイントで僕のほうから抜けると見せかけて剣崎先輩の方から抜けたり、二度目は横から抜けると見せかけて僕らの腕の下から抜けたり、変幻自在に動きます。二度目のときに僕がタッチされ、ゲートボール同好会に一点。
 関元先輩は、次に門脇先輩のボールに自分のボールを当てました。しかし今度の打撃は、フェイントに慣れてきたのか剣崎先輩が阻止し、僕らに一点。早苗姉えが、二番と四番のボールをそれぞれ元の位置に戻しました。
 門脇先輩の四番は、未だ第二ゲート近くにとどまっていました。関元先輩の二番は、そこから少し後方に。一方剣崎先輩の一番は、関元先輩の二番の近くでまたアウトになっています。僕らにとっては、とても攻めづらい状況である上に、
「六対十か。逆転が難しいな……!」
 剣崎先輩が、親指の爪を噛みました。
「それ、勝利のおまじないですか?」
 僕も先輩にならって、親指の爪を噛んでみました。しかし声と手の震えが止まりません。早苗姉えが見ています。
「……立石くん。その恐怖、利用してみないか?」
「え?」
 振り返ると、剣崎先輩が耳打ちしてきました。