第一試合 カバディ対ゲートボール


 僕と剣崎先輩との出会いは、三か月前。僕の入学式の日に遡(さかのぼ)ります。
 高校三年間も早苗姉えと一緒、というか一生早苗姉えから離れられないだろうなぁ……という悟りを春休みのうちに開いていた僕は、重い足を引きずりながら昇降口を出ました。学校の敷地内の、桜の花びらが散らばるアスファルトを見ながら、早苗姉えの待つ校門まで歩きます。
 僕の周りで、同じく校門に向かう同級生や上級生たちが、明るく弾んだ声でこれからの高校生活への期待などを語り合っていました。
 僕らの行く道を挟み込むように、部活の勧誘をする先輩たちが並び、自分の部の名前やセールスポイントなどを黄色い声で叫んでいます。もっともそのときの僕の最大の関心は、地面とのにらめっこにあったのですが。
 その中で、
「――っ! カバディ部に、入部をお願いしますっ!」
 一際(ひときわ)甲高い声が、周りの雑談の声や勧誘の声を切り裂いていました。その声を中心にして、かすかなざわめきも聞こえてきます。
 僕がのそりと顔を上げると――
「仲間とのチームワークも、一人で複数の敵と戦う勇気も養える、素晴らしいスポーツなんですっ! どうか入部してくださいっ! お願いしますっ!」
 涙声で叫ぶ、一人の女子の先輩がいました。小柄ながらも、しっかりと肉の付いた身体をしています。特に肉付きのいい胸に、彼女が抱えているのは――
 電話帳ほどの分厚さの、チラシの束でした。「全校生徒に行き渡らせてやるっ!」と言わんばかりの、怖いぐらいの気迫を感じます。
 彼女が腕をぴんと伸ばして突き出してくるチラシや、くしゃくしゃになった泣き顔、そして耳をつんざく叫び声のせいで、そばを通る生徒たちがみんな彼女を避けていきます。
 あまりに必死なその姿に僕は息を呑(の)み、周りの人にならって彼女を避けようとすると、
「――もう部員が、私一人しかいないんですっ!」
 彼女のその言葉を聞いて、ぱたりと足を止めました。そして彼女に近づきます。
「このままじゃ、来年には廃部なんですっ! だからどうか、どうか……!」
 金切り声を上げ続けていた彼女も、寄ってきた僕を見て言葉を切りました。
「……カバディって、そんなにマイナーなんですか?」
 僕が聞くと、彼女は激しく首を縦に振ります。
「そうなんですっ! 楽しいスポーツなのに、みんな知らなくって……! うちの部だって、昨年度までいた部員はみんな卒業するか辞めるかしちゃって……! このままじゃこの学校にも、ひいては日本全国にも、カバディが根付くチャンスが……!」
 彼女は涙をぼろぼろと流しながら、初対面の僕にいきなり熱弁してきます。ついでに彼女が見せてきたチラシには、劇画風の絵で、何やら姿勢を低くして睨み合うマッチョな男たちが迫力たっぷりに描かれていました。
 さりげなく詰め寄ってきた彼女を、僕は両手で止めてから、
「……分かりました。入りますよ、カバディ部」
 さらっと答えました。
 そのとき彼女――剣崎先輩が見せた涙交じりの笑顔は、その春咲いたどの桜よりまぶしく輝いていました。


 その剣崎先輩は、「他の部と勝負しよう」という僕の思い付きを聞くなり、空き教室から僕を引っ張り出しました。
「ちょ、ちょっと剣崎先輩! どこ行くんですか!」
 彼女に手首を握られ、強い力で引っ張られるままに、僕は廊下を歩きます。
「君のアイディアを、採用したのだよっ! つまり勝負の相手を探してるんだっ!」
 元気いっぱいな声で僕に答えながら、剣崎先輩はずんずんと進んでいきます。
 放課後の廊下や教室には、いろいろな活動をしている人たちがいました。そして、
「頼もうっ! 我らがカバディ部と、勝負しないかっ?」
 剣崎先輩は、満面の笑みとともに彼らに声を掛けていきました。
 しかし――


 例えば、空き教室でポールダンスをしていた、三人ほどの女子に声を掛けたとき。
「カバディと勝負? うち、ポールダンス同好会なんだけど。見て分かんない?」
 教室の天井と廊下に突っ張ったポールに上下逆さまに掴まっている女子に、剣崎先輩はそう言って門前払いされました。


 例えば、あるクラスの教室で、机を端に寄せて作ったスペースで社交ダンスをしている男子二人に声を掛けたとき。
「いや、うち勝負とかする同好会じゃないんで……」
「それよりも、俺たちだけの世界に入ってこないでくれますか?」
 そう言って男子二人は、手をつないでくるくると回り続けます。僕も剣崎先輩も、吐き気をこらえながら立ち去りました。


 例えば、とある階の廊下で、掃除の時間でもないのに雑巾がけをしている、四人ほどの男女に声を掛けたとき。
「一緒に雑巾がけしてくれるなら、いいですよ。私たち、雑巾がけダッシュ同好会と」
「そうそう。俺たち、自主的に校舎を綺麗にすることに、命かけてるんで」
 そう言った女子と男子は、バケツの水に浸けた雑巾を絞るなり、廊下の端目がけて勢いよく雑巾がけを開始しました。


「どうしてうちの学校、こんなにおかし……もとい、個性的な同好会ばかりなんですか?」
 僕は、まだ剣崎先輩に引っ張られ続けていました。今は、二年の教室がある階に来ています。
「わが校の校風は知ってるだろう? 大学への推薦(すいせん)入学を奨励(しょうれい)するゆえ、部活の実績を高く評価する。だから飛び抜けた実績の欲しい連中が、マイナーな同好会を乱立させてるんだが――」
「所詮マイナーだから、実績とも言えないしょぼい活動を、少人数で細々とやるしかないんですね。僕たち、カバディ同好会も……」
 僕はため息を吐きましたが、
「だから人数と活動実績をそろえる手段を、君のアイディアから思いついたんじゃないかっ! 諦めず探すぞっ!」
 拳を振り上げて歩き続ける剣崎先輩に、「だから、どうやって……」と僕が突っ込んでいると、
「めんどくさいですよぉ、関元(せきもと)くん」
 そんな間延びした声が、近くの教室から聞こえました。
「しかし門脇(かどわき)さん。向こうのほうとも今日練習する約束をしてるし、ドタキャンするわけにもいかないよ」
 間延びした声に、落ち着いたよく通る声が答えました。
 僕たちは足を止め、声が聞こえてきた教室をのぞき込みました。
「きっと大丈夫ですよぉ。向こうもそれなりに人生経験のあるかたがたですから、一、二回のさぼりぐらい大目に見てくれますよぉ」
 そう言いながら、椅子に座る一人の女子が、缶の緑茶をすすりました。彼女は眼鏡をかけていて、その奥の目は、開いているのか閉じているのか分からないほど細められています。彼女の後ろ髪は、うなじの位置で一つのお団子にまとめられていました。
「……仕方ない。電話を入れて、上手く言っておくよ」
 彼女のそばに立つ一人の男子が、携帯を取り出しました。髪を短く刈り込んだ彼は、逆三角形のシャープな顔立ちと、僕より一回り大きい筋肉質な身体つきをした、いかにも体育会系なイケメンです。
 そこに、
「頼もうっ! 我らがカバディ部と、勝負しないかっ?」
 剣崎先輩が、ずけずけと踏み入りました。もちろん、僕を引っ張りながら。一年生の僕と、三年生の剣崎先輩とで、二人して違う学年の教室に入ります。
 教室にいた二人は、驚きの顔を僕らに向けてきました。当然の反応です。わけの分からないことを叫びながら、先輩が突入してきたら。
「勝負? めんどくさそ――」
 眼鏡の女子を、イケメンな男子が後ろ手にかばいます。
「失礼ながら、ご用件をもう少し詳しく伺(うかが)えますか? 先ほど、勝負と聞こえましたが」
 彼は切れ長の吊り目を僕らに向けながら、はきはきとした声で話しかけてきました。
「私はカバディ部部長、三年二組の剣崎つむぎだっ! こちらは部員の、一年二組の立石圭護くん! ――君たちも、人数と活動実績に困ってる同好会だろう? 両方をそろえるチャンスがあるぞっ! 私たちと掛け持ちし合って、違う競技で勝負すればなっ!」
 相手が話を聞いてくれたので、剣崎先輩は調子に乗って一気にまくし立てました。その図々しさ、見習いたいです。
 イケメンな男子が、すぐそばに寄ってきた僕らへの反応に困っていると、
「もう少し、詳しく聞いてみましょうよぉ」
 眼鏡の女子が、彼の袖を引っ張りながら立ち上がりました。彼女の身長は女子の平均程度で、体格は中肉中背。ほけーっと開いた口元が、ほんのりと笑みの形になっています。
「……こちらはゲートボール同好会部長、二年三組の門脇珠代(たまよ)さん。俺は副部長、二年二組の関元拓馬(たくま)です」
 男子の先輩がはきはきと簡潔(かんけつ)に、彼女と自分自身とを、掌で指しながら紹介しました。
「ああ、すみませんねぇ関元くん。自己紹介は、部長の私の仕事なのに」
 門脇先輩は、関元先輩に顔を向け、のんびりとした口調で謝りました。
「……気にしないでくれ。君の補佐が、俺の仕事だ」
 関元先輩は目を細めながら、一つ咳払いをしました。気のせいでしょうか? 彼の頬は、少し赤くなっているように見えます。
「……それで、剣崎先輩。俺たちと――ゲートボールと、その……カバディとで、勝負をしたいと聞きましたが」
「そうだ。さっき言った通りだが?」
 関元先輩に疑問を向けられ、剣崎先輩は首を傾げました。
「……ゲートボールのルール、教えてもらえますか? えっと……関元先輩」
 僕はゲートボール同好会のほうに、質問を向けます。門脇先輩には素早い受け答えを期待できなそうなので、関元先輩を名指しで。片眉を上げた剣崎先輩が「立石くん?」と声を掛けてくるのは、ひとまず無視です。
「……スティックでボールを打って、フィールド上のゲートに順番に通してゴールを目指す」
 関元先輩は、眉をひそめながらも、つまり未だに話が飲み込めない様子を見せながらも、質問に答えてくれました。
 僕は一つうなずき、
「……それと勝負するって言っても、カバディのルールって――」
 僕は、顎に指を当てて思い出します。


 カバディの基本的なルールは、こうです。七対七程度の人数で二つのコートに分かれ、攻撃側選手一人――レイダーと言います――が防御側のコートに入って、防御側選手――アンティと言います――をタッチしてから自陣に戻ることを目指します。レイダーはタッチした人数分だけポイント、アンティもレイダーを捕まえれば一ポイント。
 僕が入部したばかりの頃も――
「ほら立石くん、アンティの基本的なフォーメーションを見ろっ!」
 隣に座る剣崎先輩に肩を揺すられ、空き教室に据え付けのパソコンの前で舟をこいでいた僕は目を覚ましました。画面の中では、カバディの試合動画が再生されています。
 ドッジボールのそれのように二分されたコートで、レイダーが敵陣に攻め入っていました。対して六人程度のアンティたちも、二人ずつ手をつないで、レイダーを遠巻きに半円状に取り囲んでいます。
 コートをあちこちにぴょんぴょんと跳び回るレイダーの手が伸びてくるたびに、アンティたちは波が引くようにさっと逃げて――
「起きろっ! 今のレイダーのファインプレーを見ろっ!」
 またうつらうつらしていた僕を叩き起こし、剣崎先輩は動画を少し前に戻します。レイダーがコートの中間線近くで、一斉にたかってきたアンティたちに捕まっていました。しかし彼は倒れ込みながらも、自陣側の床に手を伸ばして触れます。
「さっきので三点! ……な風に、捕まってもレイダーは得点でき……っ! こういう諦め……神が養えるから、……ディは――」
 熱弁する剣崎先輩の声がだんだん遠くなり、ついでに目の前の画面もぼんやりしてきて、
「おい立石くん、聞いてるかっ?」
 そんな調子で、僕は何度も彼女に叩き起こされながら、試合動画を見ました。
 その後剣崎先輩と、実際に練習もしてみましたが――
「カバディ、カバディ、カバディ、カバディ……」
 僕はその意味不明な言葉を唱えながら、少し腰を落として剣崎先輩と睨み合っていました。
「声が小さいぞっ、立石くん!」
 夕日が差し込む空き教室で、剣崎先輩は僕に怒鳴ります。
「キャントは審判に聞こえる程度の、最小限の声量でいいとは言ったがなっ! 目の前の私にさえ聞き取りづらいぞっ!」
「仕方ないでしょ。僕ら二人きりで、審判いないんですから」
 僕が言い返すと、剣崎先輩はがっくりと肩を落としました。ちなみにキャントとは、「カバディ」と連呼することです。これを続けていないと、レイダーは攻撃できないのです。
「……まあいい、続けよう。今日はあくまで、ルール説明だからな」
 剣崎先輩は気を取り直して、僕に向き直ります。キャントを中断したことも、大目に見てくれたようです。
「……カバディ、カバディ、カバディ」
 僕は再びキャントをしながら、剣崎先輩に手を伸ばします。何度目かに伸ばした手が――わざと触れさせてくれたのかもしれませんが――、剣崎先輩の腕に触れました。
「カバディ、カバディ!」
 僕は身をひるがえして、後ろに逃げました。すぐに剣崎先輩に、後ろから抱き付かれます。
「あーあ……」
 胴体を拘束する硬い筋肉と柔らかい脂肪とを、なるべく感じるまいとしながら僕がため息を吐くと、
「諦めるなっ! まだ自陣に戻るチャンスはあるぞっ!」
「はいはい。……カバディ」
 剣崎先輩にどやされ、僕は足元にテープで引いたラインに足を延ばしてタッチしました。さっき動画で見た通り、相手に捕まっても自陣に指一本でも戻れば、自分にタッチした人数分得点できます。
「よし、一点だ立石くん! その調子だぞっ!」
 僕を解放した剣崎先輩は、笑顔を向けてくれました。彼女は褒(ほ)めて伸ばす方針の人らしく、そこはありがたかったのですが、
「……空しいな、立石くん」
「そうですね、剣崎先輩」
 二人きりのわびしい部活に、剣崎先輩は肩を落とし、僕は淡々と同意するのでした。


 僕はカバディのルールを、ついでにカバディ同好会の闇の歴史を思い出してから、
「――ゲートボールと、ルール違い過ぎますよ! どうやって勝負するんですか!」
 剣崎先輩をなじりました。それにも動じずに彼女は、
「なんとかするさっ! だいたい、もともとは君のアイディアだろう!」
 僕の胸に人差し指を当てて、反論してきました。
「まったく……。どうしてそんな、無理やりな勝負でもしたいんですか?」
「人数だけじゃ、同好会が部に昇格できないからだっ! 当たり前だろう!」
 僕がため息まじりに聞くと、剣崎先輩が唾(つば)を飛ばしながらまくし立ててきます。
「えっと……立石くん、君は一年生か。一応知ってると思うが……幽霊部員だけで必要な人数、五人以上をそろえる、なんてせこい手で同好会が部に昇格できたら、そんな連中に無駄な予算や練習場所を配分することになるだろう? だから活動の実態の証明が必要で、それは学期末ごとの生徒会の査定で評価される。だが、俺たちゲートボール同好会も、学校内での活動は全然……」
 関元先輩は説明してから、悔しそうに拳を握りました。
「『だから人数も実績も今学期中に稼ぐぞ!』って剣崎先輩が息巻いてたわりに、僕らも無残な現状があるわけですしね」
 僕は先輩たちに確認してから、首を横に振りました。
「その通り! だが私たちで勝負すれば、きっと立派な活動実績になるっ! それもお互いが好きな、お互いが極めた競技を同時にやることでだっ! なあ門脇さん!」
 剣崎先輩は、満面の笑みを門脇先輩に向けました。
「そうですねぇ……。ゲートボールと、そのカバディ? というのを掛け持ちして、両方極める必要がなさそうで……楽そうですねぇ」
 門脇先輩は、のんびりした口調でしゃべりながら、にへらっと笑いました。
 しかし、僕は一つ引っかかりを覚えます。
「でも確か、ゲートボールって……。よく公民館とかで、お年寄りの方たちがやってるイメージがあるんですが。学校の外でできるだろうに、わざわざ部に昇格する必要や、僕らと試合する必要、あるんですか?」
 僕が首を傾げながら尋(たず)ねると、関元先輩が一つ咳払いをします。
「その……。確かに俺たちは、近隣の公民館で、お年寄りの方々と一緒に練習や試合をしてた。だが、できたら部に昇格して、校内に練習場所を確保したい。そのほうが、門脇さんの、その……。負担が減るんだ」
 関元先輩は、やや歯切れ悪く説明します。
「ええ。……放課後にわざわざ校外まで移動したり、年配の方々とアポを取ったりするのが、めんどくさくって」
 門脇先輩は眉根を寄せながら、頬に手を当てました。
「だから私たちと君たちとが、あと一つどこかの同好会と掛け持ちし合って部に昇格すれば、君たちは学校でもゲートボールができる! そして私もカバディができて、立石くんも杜生さんにうるさく言われない! どうだ、みんなが得する話だろう?」
 剣崎先輩は両手を腰に当て、どや顔を僕に向けてきます。
「そうですね。……で、肝心の勝負の方法は?」
「心配するなっ! これから考えて、今日中に試合ができなきゃ土日にやるさっ! とにかく、期末テストの前に一つ、活動実績を作るぞっ!」
 剣崎先輩は自信満々の笑顔で言い切って、拳を振り上げました。
それに応じて、門脇先輩が「おー」と間延びした掛け声とともに、小さく拳を上げます。関元先輩も、無言で彼女と同じ動作をしました。
「……ああもう、やりますよ! 僕だって、やるしかないですからね!」
 僕も彼女らに続き、やけくそ気味に拳を振り上げます。
 暗い窓の外では、今もしとしとと雨が降っていました。