「がっかりだよ……。本当にがっかりだ……」
「まだ言ってる……」
 あの地底での「冒険」から、二日後。私はももせと一緒に下校しながら、彼女に愚痴っていました。
「だってだって! 『かっこよくチート能力で大暴れー!』とかもできなくて! ちょっと日帰りで虚弱な奴らやっつけてきただけなんだよ! おまけに服を汚してお母さんに怒られたし! 損しかしてない!」
 私が駄々っ子のように地団太を踏むと、
「まあとにかく、未来が特に怪我もせず、その日のうちに無事に帰ってこれてよかったじゃん。あたしたちの足元に、そんな変な『国』があるのはちょっと気味悪いけど……」
 ももせも、私が話した「冒険」のこと、特にムリラと取り巻きたちのくだりを思い出したのか、顔をしかめながら地面に目を落としました。
「確かに、人口に対して、その……変な趣味の奴の割合が高すぎる気はする。だけど……」
 そこまで話すと、サインと出会った場所のそばを通りかかりました。彼女が現れたマンホールに目を向けながら、
「……サインの国を、その一部しか知らないで馬鹿にしたくはないなぁ」
 そう語っていると、
 かたかた。かたかた。かたかた。
「ん?」
 例のマンホールの蓋が、また小さく動いていました。
「もしかして、またサインかな……。よいしょっと」
 私がそこに歩み寄り、蓋をずらすと、案の定その中にいました。銀のロングヘアにエメラルドグリーンの瞳を持ち、作業着に身を包んだ美少女、サイン・フォンドゥ・アツパーユが。
「未来! 助けてください!」
 彼女は私と目が合うなり、悲痛な声を上げます。
「どうしたの? 今度は他の奴が反乱したの?」
「いいえ、またムリラが……。詳しくは道中で話します! また、お願いできますか?」
 そう言って、うるうると瞳を揺らすサインを見ては、放ってはおけません。よって、
「仕方ないなぁ……。そうだ、ちょうどサインの国のことを、もう少し知りたいと思ってたんだ。今度はもうちょっと速く片付けるから、案内してくれる?」
 そう提案すると、不安げだったサインの顔がぱっと輝きました。
「ええ、ぜひとも! ありがとうございます、未来!」
「よし! じゃー行ってくるねー、ももせ」
 私はサインに笑顔を返し、ももせに手を振ってから、マンホールに入りました。
「デートに誘うナンパ男かよ……。まあいいや、行ってきな」
 ため息交じりに手を振るももせに見送られて、私は地下へ下りました。


「それにしても、ムリラずいぶん早く逆襲してきたね。この前捕まえたばかりでしょ?」
 サインと一緒に下水道を歩きながら、私は聞きました。
「ええ……。看守の就寝時間を突かれました……」
「ちょ、ちょっと待って。交代制で二十四時間見張ってたりしないの?」
「何を言っているのですか、未来? 我が国では、国民みなが規則正しく生活しています。休む時はみんなが休みます。それは公職の人間でも例外ではありません。健康が第一です」
「そ、そう……」
 どこから突っ込んでいいやら分からない彼女の答えに肩を落としつつも、私は質問を続けます。
「そ、それでもさ。牢屋に鍵とか、かけてないの?」
「鍵ですか? ……そう言えば、ずいぶん前に壊れてから、そのままだと聞いています。それでも脱走すれば、すぐに他の国民が気づくと思っていたのですが……。脱走してすぐに、仲間たちも逃がして素早く勢力を結集したムリラのほうが、一枚も二枚も上手でした……」
「…………」
 ムリラたち以外のアツパーユ人たちも、怠け者すぎるのでは。そんな突っ込みを封印しつつも、私は開いた口がふさがらない気持ちを覚えました。


 とにかく、下水道からアツパーユ王国に入ると、また先日のようにムリラが大広間で取り巻きたちを従えてくつろいでいて、
「むっ! やはり戻ってきたかサイン! そしてまた来たかよそ者よ! 貴様の言う通り、生きていればやり直せるものだな! 私を再び決起させたこと、存分に後悔ーー」
 ムリラが何やら、私に責任転嫁するセリフをほざき出したので、
「うるさい」
 どかばきべきぐしゃ。
 私はさっさと取り巻きたちとムリラを殴り倒して、黙らせました。その後残った敵を片付けましたが、彼らが弱いことを知っていたので、今回の反乱の鎮圧には十分もかかりませんでした。


「今回も、ありがとうございました! 未来!」
 玉座の間で、サインは私の手を両手で握って、ぶんぶんと上下に振っていました。
「うん、まあ……。次はムリラたちが脱走しないように、気を付けなよ……」
 私が苦笑いしながら応じると、サインは「善処します!」といい返事をします。そして、
 ぐぅー……。
 彼女のお腹からも、胃袋の鳴くいい音がしました。
「えっと、お父様……。そろそろ、食料調達の時間です。ちょうど未来に、アツパーユを案内する約束をしていたので、彼女も連れて行っていいでしょう?」
 サインがそう問うと、王様は二つ返事で了承しました。
 そう言えばーーただでさえ太陽が差さず、今何時なのかが分かりにくいアツパーユで、今のところ時計のたぐいを見たことがありません。それでもさっき、サインが「食料調達の時間」を告げたということは、
「もしかして、この国の時計って、王族の腹時計……。つまり、サインたちがお腹すく時間を基準に、国民の生活リズムを決めてたりする?」
 私が聞くと、サインは顔を真っ赤にしながらうなずきました。


「皆さん、食料調達のお時間です。各自、作業に移ってください」
 サインが呼びかけて回ると、コンクリートだらけの空間で寝転がっていた大人たちが起き上がったり、鬼ごっこか何かをして遊んでいた子供たちがそれぞれの親たちのもとに戻ったりします。
 そして、おそらくは家族単位でまとまって移動していきました。サインと私もついて行くと、ある人たちは、上のコンクリートのひび割れから侵入してきている木の根を、刃物でこそげ落としていきます。ある人たちは、部屋や通路の隅に生えているキノコを採ります。ある人たちは、作りかけらしい通路が途切れて、土がむき出しのところを掘ってミミズを捕まえたり――さらには、土そのものを持参の鍋や布袋に入れたりしています。
「国民」たちがそうした作業に取り掛かるのは、常にサインに呼びかけられてからで、それまで彼らは基本的にごろごろしたり遊んだりしているようです。
「ねえサイン。アツパーユの人たちって、その……。普段の仕事、何してるの?」
 私が問うと、サインは首をかしげます。
「普段の仕事……? ご覧の通り、彼ら自身のための食料調達が仕事ですが」
「そ、そう……。それ以外の時は、何してるの?」
「それ以外、ですか? 基本的には休息したり、元気があれば遊んだりしていますね。人間は、生きるための必要最低限の仕事さえしていればいいのです。それ以上、何の労苦が必要なのですか?」
 サインの言葉を聞いて、私は複雑な気持ちになりました。ブラック企業がどうの過労死がどうのと騒ぎつつも、彼らよりずっと豊かな生活をしている地上の人間として。なので、
「……なんかその、私が悪かった。これはこれで、人間らしい生活だよね」
「何を謝っているのですか?」
 サインに首を傾げられながらも、彼女らの生活を肯定するのでした。


 私とサインが「国」を歩き回ったのは十分ほどで、その間サインが声をかけた、おそらく「国民」全員の人数は三百人ほどでしょうか。やはり小さな「国」のようです。
 食料調達の後、あの大広間に王様やサインや、私に興味を持った国民たちが集まって、食事会が開かれることになりました。この前はさっさと帰ってしまった英雄、つまり私を改めて歓迎するためだそうです。
 鍋でじっくり、おそらく食べられる柔らかさになるまで煮込まれている木の根や、ワイルドにたき火で串焼きにされているミミズ、一口サイズの団子の形に握り固められていく土などを見て、私は「ごめんなさい今お腹減ってないです本当です勘弁してください」と、食事会を丁重に辞退しました。
 しょげるサインの姿に胸が痛んだので、私は気をまぎらわすために、あたりをきょろきょろします。目に入るのは、のんびりと料理を作る人々の姿と、彼らがいる空間、つまりコンクリートの床や壁や天井や柱でできた大広間です。そう言えば、アツパーユの「国」じゅうが、広さは違っても同じようなコンクリート張りの空間だらけでした。
 昔、大きな戦争があったときに、こういう施設が作られたということは知っています。つまり、この「国」は、戦争からの復興が始まったときに、働きたくない人たちが住み着いただけの場所なのではないでしょうか。あの自堕落な国民たちを見ていると、そう感じます。おそらく「王家」とは、その中でも仕切りたがった、比較的真面目な一族なのでしょう。
 顔立ちや、日本語を話していることから、国民みんな祖先は日本人だと思われます。それでもサインやムリラのように銀髪や金髪になる人がいるのは、何世代も日光を浴びていないために色素が薄くなっているからでしょう。
 おそらくこの「国」の歴史は、せいぜい七十年、世代で言えば三、四世代程度です。
 そこまで考えをまとめて、私は口を開きましたが、
「ねえサイン。アツパーユの歴史について、ちょっと聞きた――」
「歴史」まで口にしたあたりで、横から聞いていた王様が反応して、
「我が国は、五百年の歴史を誇る由緒正しき国だよ、英雄さん」
 いきなり話に割り込んできました。彼が「なあサイン?」と問いかけると、
「はい、お父様。我が国は、五百年の歴史を誇る由緒正しき国ですよ、未来」
 サインもまた、怖いくらい曇りない笑顔を私に向けてきます。彼女が「そうですよね、皆さん?」と問いかけると、
「「「「「はい、お姫様。我が国は、五百年の歴史を誇る由緒正しき国です、英雄さん」」」」」
「国民」たちの大合唱が、大広間を満たしました。まだアツパーユの歴史について、私自身はほとんど何も言っていないのに、一糸乱れぬ彼らの主張ぶりが怖いです。あまりの恐怖に、私の奥歯ががたがたと鳴りました。
「そうだ未来! 夕食をごちそうできない代わりに、せめて我が国の歴史について、もう少し教えたいです。まずは建国神話から――」
 胸元で両拳を握り、満面の笑顔を浮かべるサインに対し、
「ご、ごめんねサイン! 今度聞かせて! また用事思い出しちゃったから、帰る!」
 私はがくがくと震える両脚にむち打って、転がるように大広間の出口に走り、恐怖の空間を脱出しました。

「私は、アツパーユ王国の現在唯一の王女、サイン・フォンドゥ・アツパーユと申します」
 謎の美少女ちゃんは、そう名乗りました。
「ふぉ、フォンデュ……? まあいいや、サインって呼んでいいかな? 私は、中仁澤(なかにざわ)未来! 『未来』でいいよ!」
 自己紹介を受けたので、私も自己紹介を返すと、美少女ちゃん――サインは苦笑いしました。少々図々しすぎたでしょうか。
 マンホールから下った私とサインは、下水道を歩いていました。非常事態に備えて私が用意していた、軍用のライト(の、安物のレプリカ)が照らし出す風景は、人二人がすれ違える廊下くらいの広さの通路。その半分が人間が歩く歩道で、一段低くなったもう半分にはもちろん、濃い茶色の下水が流れています。おまけにむわっとした空気も濃縮された異臭を含んでいて、その……。女子には、いろいろときつい環境です。
 それでも、
「それで、未来……。助けてほしい、という話ですが……」
「うん! なんなりとお申し付けください、お姫様!」
 王女、つまりお姫様を助けることに、私のテンションは上がりました。サインはほっとした顔をしながら、話を切り出します。
「私の国では、王族の指導の下、国民みながほどよく働いて生きているのですが……。それでも、生活のための最低限の労働すら嫌う者たちが、中にはいたのです。私の幼馴染の貴族……名はムリラ・スカベンジャーというのですが、彼女が筆頭となって、怠けたい者たちが国を乗っ取り……。他の国民たちを奴隷にしてしまったのです」
「それは許せないね! でも大丈夫! そんな奴ら、私がやっつけてやる!」
 私は怒りに燃える心を抱えながら、しゅっしゅっ、と空いた手でシャドーボクシングをします。サインの表情がまた明るくなったので、私はつい調子に乗りました。彼女の作業着に目を落としながら、
「お姫様が、適当な服で逃げてくるくらいの非常事態だもんね! 急ごう!」
 などと口を滑らせたのですが、
「いえ、未来……。この格好が、我が国の王族の正装です」
「えー……?」
 自分の作業着を示して答えるサインに、また少しテンションを下げられるのでした。


「ここから先が、我が国の領土です。見つからないように、慎重に行動してくださいね」
 下水道の途中で立ち止まり、サインは壁の一か所に手を当てました。私は口をつぐみ、ライトを消灯します。
 ずずっ。ずずっ。真っ暗な中で、ゆっくりとコンクリートが擦れ合う音が響き、壁にできた縦長の切れ目から光が漏れてきます。切れ目がどんどん広がり、人ひとりが通れるくらいの長方形の穴が壁に空いて初めて、サインが隠し扉を開けたのだと理解しました。ライトをリュックにしまって、はやる心を抑えながらそこをくぐると、
「おお……!」
 その先にあったのは、コンクリート張りの広大な空間でした。広さは三十メートル四方ほど、よくある学校の体育館二つ分くらいでしょうか。そこかしこに太いコンクリートの柱が立ち並び、ある種の荘厳な雰囲気が出ています。壁も床も天井もほどよく汚れたりひび割れたりしていて、廃墟マニアが大喜びしそうです。
 そうした風景を見ることができるのは、そこかしこに焚かれているかがり火のおかげです。それらに照らされて――
「ん?」
 広間の一角で、椅子のようなものに座っている人間が見えました。サインとともに柱の陰で立ち止まって、そっとのぞき込んでみます。
「痛っ! ……下手くそ! もう少し加減しろ!」
 そんな声を上げたのは、椅子らしき何かに座る、金髪ショートヘアの人間でした。私やサインと年が近そうな女の子で、ロングスカートのワンピースに身を包んだ姿が、作業着姿のサインよりもお姫様らしいです。
 そして、彼女が座っているのは椅子ではなく――四つん這いになっている人間の上でした。遠目には背もたれのように見えたのも、後ろに立って彼女の肩を揉んでいる人間です。おまけに、足元にはもう一人人間がかしずいていて、彼女が前に出した足をマッサージしています。
「貴様らは一般国民の労働を免除されるだけでなく、私に仕えるという褒美を与えられているのだ! もっと精魂込めて奉仕せんか!」
 彼女の偉そうなセリフに対し、どちらがましなのか分からない、という突っ込みを封印して、よく耳をすませば、
「はい……仰せのままに、ムリラ様」「はぁはぁ……ムリラ様」「ムリラ様ぁ……あぁ……。もっとご奉仕させてください……」
 などという、吐息交じりの気持ち悪い言葉も聞こえてきます。どうやら彼らにとっては、彼女への「ご奉仕」が本当にご褒美であるらしいです。
 ともかく、あの金髪の「女王様」的な女の子が、サインの言っていた反乱者のリーダー、ムリラらしいです。その姿に、顔からさっと血の気が引く思いがして、
「さ、サイン! なにあれ!」
 私は思わず、大声を出していました。サインが慌てて口の前で人差し指を立ててももう遅く、
「誰だ!」
 こちらを向いたムリラと、ばっちり目が合いました。彼女の取り巻きたちが慌てて立ち上がり、尻もちをつくムリラに気づかずに、足元に置いていた棍棒を取り上げます。
「さ、サイン! ここは私に任せろ!」
 私は彼女を柱の陰にかばいますが、その叫びでサインの存在も敵に知らせてしまったらしく、
「ほぅ……。やはり戻ってきたか、サイン。貴様ならここから入ってくると思っていたが、それは正解だったようだな」
 涙目でお尻をさすりながら、ムリラは立ち上がりました。彼女曰く、ここでサインを待ち受けていたらしいです。その割に、さっきはくつろいでいたようにしか見えませんでしたが……。
 ともかく、敵に見つかった以上、戦うしかありません。最初から、そのつもりでここに来たのですから。
「そこの貴様! サイン王女が側にいるであろう! おとなしく投降して、王女を引き渡すならば、悪いようにはせぬ!」
 取り巻きたちの背後から、片手を腰に当てて偉そうにこちらを指さすムリラに対し、
「やだね! こんな序盤も序盤で、ヒロインを見捨てられるか!」
 私は両拳を握り、ファイティングポーズをとりました。いかにも戦闘開始なシチュエーションに、胸が高鳴ります。
「ねえサイン! こんなとき、チートスキルが発現したりするんだよね? よくあるウェブ小説みたいに!」
「ち、ちいと? うえぶ? 何の話をしているのですか、未来?」
 サインはかなり困った顔をして、首をかしげます。
「え? なんて言うか、ここはある種の別の世界で、私みたいなよそ者が都合よく大暴れできたりするんじゃないの?」
「話が、見えないのですが……。その、申し訳ありません、未来。あなたがあまりにも自信満々なので、戦うお仕事の人間なのでは、と思ったのです……」
 そう言ってしょげるサインに対し、
「それを早く言え! 私はただの高校生だよ!」
 都合のいい展開を勝手に期待した自分の責任を棚上げして、私は頭を抱えるのでした。
「貴様ら、何を話している! ――もういい! 者ども、かかれ!」
 しびれを切らしたムリラの命令で、彼女の取り巻き三人が手に手に棍棒を持って一斉に襲い掛かってきます。原始的な武器でも、女の子一人始末するには十分です。
「未来! 逃げて――」
「たまるかよ! ちくしょー! この中仁澤未来、ただではやられんぞー!」
 サインの制止を振り切り、私は半泣きになりながら突撃していきます。もうやけです。格闘技経験は学校でやった柔道くらいですが、今こそネットから拾った格闘術の知識が生きるときです。
 一番前に来ていた取り巻き、私より頭一つ分は背の高い奴が、棍棒を振りかぶりました。武器を「振り回す」攻撃に対しては、まず攻撃範囲の内側に入るのがセオリーです。私は両腕で頭を守りながら、敵の懐に飛び込んで――
 どーん!
「ぐえっ!」
「あ、あれ?」
 それだけで、敵はあっさりと吹っ飛びました。仰向けに倒れ、手足をひくひくさせる仲間の姿を見て、他の敵二人が足を止めます。
 身長は百六十五センチと女子にしては大きめですが、体重は××キロ(乙女の秘密です!)しかない私に当たり負けするということは――
「ひょっとして――アツパーユ人って、弱い?」
 私が残った敵二人を指さすと、彼らは身をすくめました。よく見れば彼らの肌はいやに生白く、身体もひょろひょろです。日光や栄養や運動が足りていないのでしょうか。
「くっ、化け物め! 私は増援を呼ぶ! 貴様らは、せいぜい時間を稼いでおけ!」
 身をひるがえして逃げるムリラに偉そうに命令され、彼女の取り巻き二人は健気にもかかってきましたが――まあ、結果は最初の一人と同じでした。


 大広間を出て、延々と赤茶けたコンクリート張りの通路や小部屋ばかりが続く空間で、
「く、曲者だぁ! 出会え出会え!」
 ムリラはほとんど悲鳴のような声を上げながら逃げ回り、それを私は追います。彼女が逃げ込んだところにいた敵たちが、私を見るなり襲い掛かってくるのですが、
「えいっ」
 ばきっ!
「ぐあぁー!」
 ある敵は、見よう見まねの私の右ストレートで倒れ、
「やあっ」
 どすっ!
「ごはぁー!」
 ある敵は、私が勢い任せに繰り出した前蹴りで吹っ飛び、
「ちぇすとぉ」
 どんっ!
「「「「「ぎゃあぁー!」」」」」
 数人がかりでかかってきた敵たちも、私が適当に突き飛ばすと、将棋倒しで一網打尽になりました。
 そんな調子で敵を倒しながら追いかけて、私はとうとうムリラをとある通路の行き止まりに追い込みました。
「だっ……誰か! 誰かおらんのか! 今この曲者を討てば、一週間私の椅子になる栄誉を与えようぞ! 誰か――」
 ムリラは涙目になって叫びますが、私が後ろを振り返っても、特に他の敵が追ってくる様子はありません。今まで倒したのは三十人程度ですが、それで全部でしょうか。「女王様」に仕える趣味のある特殊な人間の数として、多いのか少ないのかよく分かりません。
 というか、その程度の人数で支配できる人口といい、今まで駆け回ってきた空間の狭さといい、意外と小さい「国」だなぁ……と、私がげんなりしていると、
「ここまでか……! このムリラ・スカベンジャー、これ以上生き恥をさらす気は毛頭持たぬ! いっそ一思いに――」
 そんな武士か何かのように潔すぎるセリフを、真っ赤になった顔をくしゃくしゃにしながら言うムリラがかわいそうと言うか可愛かったので、私は彼女にすたすたと歩み寄り、
「えいやっ」
 肩の関節を極めて、ムリラをうつぶせに床に倒しました(恐ろしく簡単に倒せました)。そして、万一の事態に備えて持っていたプラスチック手錠――代わりの結束バンドで、彼女の両手首を拘束します。
「な、何をする! アツパーユ王国の真の支配者たるべき私に、いかなる辱めを――」
 なおも抵抗する彼女の言葉を遮り、
「あー、その……。人間、生きてればやり直せるからさ。人生これからだって。私から王様やサインに、悪いようにしないでってお願いするから……投降してくれない?」
 私は彼女を立たせて、歩かせました。ムリラはますます顔をくしゃくしゃにして、涙をぼろぼろと落としながら、
「うぅ……。覚えてろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
 地底中に響き渡りそうな声で、叫んだのでした。


 王様の親衛隊(役立たずなりに、一応いたらしいです)と協力してムリラや取り巻きたちを牢屋にぶち込み、玉座の間(ちょっと清潔な、広めの部屋です)で王様、つまりサインのお父さん(サインと同じで作業着姿のおじさんです)に大げさで長ったらしい誉め言葉をいただいてから時計を見ると、地上でサインと出会ってからまだ一時間ほどしか経っていませんでした。
 もっと数日単位の大冒険を期待していたのですが、一気に気力が萎えました。このまま帰りが遅くなって、後で両親に怒られてまで長居する気はしません。
 お礼に夕食会を開く、という王様の申し出を辞退し、玉座の間を出ようとすると、
「未来! もう帰るのですか?」
 サインが私の手を取って、引き留めてきました。
「帰るよ。地上にも、大事な大事な用事があるからさ」
 そう言って歩き出そうとすると、サインの手に少し強く力が入ります。
「なら私からも、せめてお礼だけでも言わせてください。……その、助けていただいて、ありがとうございました。あの反乱者たちは、我が国の中でも屈強なほうの者たちだったのに、勇敢に立ち向かってくれて……。私は、そして我が国は、あなたという英雄を永遠に忘れることはありません」
 私は振り返り、そんな大げさな、と言おうとしました。しかし、頬を染めて、じわりと目尻に涙を浮かべた彼女の温かい笑顔を見てから、
「……ま、私も君のこと忘れないと思うよ。多分」
 彼女の手を、そっと握り返しました。
「やはり貴殿は、ずっと我が国にとどまり……。サインを幸せにしてくれんかのぅ……」
 王様が、やけににやけながらつぶやいた言葉に寒気を感じてから、私は地上に戻りました。

「――地底から美少女が現れても、いいと思わないかい? ももせくん」
 放課後、下校中。人目の少ない住宅街を歩きながら、私は問いました。
「何の話? ……って、アニメの話か。『空から降ってきた女の子と一緒に大冒険!』ってパターンに手あかが付いてきたから、その逆パターンの作品が見たい、ってこと?」
 私の隣を、ゆるふわショートの髪を揺らしながら歩く友人――ももせは、私の言わんとしていることをくんだ答えを返してくれます。
「その通り! だけど、『現実にそんなことあってほしいなぁ』って話でもあるんだよ! だって地底のほうが、リアルに未知のフロンティアがありそうだし、美少女も空から落ちてくるよりは安全に出てこれそうだし!」
 私がまくしたてると、ももせは肩を落としてげんなりとしていきます。彼女は、柔らかみのある丸顔を私に向けました。そして黒目がちの目を細め、眉根を寄せながら、
「地底は地底で、美少女というか人間が住むにはいろいろ問題ありそうだけど……。第一、あんたも女だけど、いいの? 未来(みらい)」
 冷静に突っ込みを入れてから、私の名を呼びました。私は思わず、むぐっ、と唸ります。
「い、いいんだよ! ディテールが甘くても、まずは夢を見たほうが面白いじゃん! それに時代のニーズは百合! 女同士で冒険やラヴコメしたっていいの!」
「はぁ……。こんな友達とつるんでるから、あたしには男ができないんだな……」
 ももせはため息をつきながら、額に手を当てました。
「異性に幸せを求めるより、自分自身のわくわくを探しな!」
「そんなの、どこにあるのさ?」
 ももせに切り返されて、私はまたも言葉に詰まりました。そして周囲へ慌てて目線をめぐらせます。
 私たちが今歩いているのは、民家の列に挟まれた、車通りのほとんどない道です。その端にふと目を留めてから、
「そ、そう! 例えばそこから! きっと今に、さっき言ってたみたいに美少女が出てきて――」
 とあるマンホールを指さしながら、目線はももせに向けました。逆に彼女は、私が示す先に目を向けてから、「ん?」と言うように眉をひそめ、
「未来。……そのマンホール、蓋が動いてない?」
 恐る恐るといった感じで、そこを指さしました。「え?」と間抜けな声を漏らしながら振り向くと、確かに――
 かたかた。かたかた。かたかた。
 下から何かに押し上げられているように、マンホールの蓋がかすかに上下していました。つまりこれは、
「美少女が、今まさに出てこようとしてるんだな!」
 ということだと、私は確信しました。「待って! 何か危ないものかもよ!」というももせの声を振り切り、突撃していきます。
「待ってろー! 今助けるからなー!」
 丸い蓋のそばに立ち、そのコの字型の取っ手を引き出して引っ張り上げ、腰を痛めてしまいそうな意外な重量にうんうん唸りながらどうにか蓋をずらすと――
「未来! 危ないって!」
 すぐ後ろに来ていたももせの言う通り、
「おお……!」
 確かに、ある意味とても危ないものが、穴と蓋の隙間から私を見上げていました。
「それ」は一言で言って、とんでもない美少女です。外はねの癖がついた銀色のロングヘアが、マンホールにわずかに差し込む光を浴びるなり、きらきら輝きました。雪のように白い肌は透き通るほど滑らかで、宝石のようなエメラルドグリーンの瞳が、軽く戸惑いの色を浮かべながらも、私に向いています。マンホールの内側の梯子に掴まる身体も、モデルのようにすらりとしていました。……その身を包む服はといえば、なぜかどろどろに汚れた作業着ですが。
「た――」
 謎の美少女は何か言いかけますが、
「ほらな! だから言ったじゃん! 美少女は地底から現れるんだよ!」
 私は興奮のあまり、ももせに振り返って勝利宣言をしました。
「いや、今さっき思いついたことを、長年主張してた持論みたいに言われても……」
 ももせが肩をすくめると、美少女ちゃんが「あの――」と声をかけてきます。
「ああ、ごめんね、話を聞けなくて。困ってるんだよね? いやむしろ困ってて! 私が今助けるから!」
 私は美少女ちゃんの前にしゃがみこんで鼻息を荒げ――彼女の体から漂う、下水のそれらしき濃厚な香りを吸い込んでしまいました。思わず「うっ」とうめきながら、身体をそらしてしまいます。美少女ちゃんも、申し訳なさそうに目を伏せました。
「未来、怪しいってこいつ。こういう時は黙って警察を呼ぶのが筋だって」
 追い打ちをかけるように、ももせが後ろから制服の袖を引っ張ってきます。しかし私も、一生に一度あるかないかの冒険のチャンスを逃したくはありません。
「なんだとう! 困ったときはすぐに公的機関やら文明の利器やらその他便利なサービスや道具のたぐいに頼る! それを当たり前と考える現代人の精神は、むしろ昔の人に比べて衰退してはいないかね!」
 私が反論している途中、「えっと……」という美少女ちゃんのためらいがちな声が聞こえました。
「昔は昔、今は今。現代日本人の、常識的な対応をしようよ?」
「だったら明日は明日だ! 『今』の常識を踏み越えることが、明日を創る――」
 私とももせが、なおも口論していると、
「――助けてください!」
 美少女ちゃんが、しびれを切らしたように叫びました。私が再び向き合うと、彼女の両眼にはじんわりと涙が浮かんでいます。
「……私の大切な人たちが、しいたげられているんです! 今こうしている間も! それと、ここに掴まり続けているのも、少し辛くなってきていて……」
 彼女が言う通り、確かにその折れそうに細い両腕がぷるぷると震えていました。今にも握力を失って落ちてしまいそうです。
 こんな美少女のピンチを放っておいては、女がすたります。よって、
「オッケー! いろいろな意味で緊急事態みたいだし、とりあえず一緒に降りるよ!」
 私が親指を立てて笑顔を見せると、美少女ちゃんの顔がぱっと輝きました。
「ちょ……ちょっと未来! 家の人が心配するよ! それと明日の学校はどうすんの?」
「その辺は、ももせから適当にごまかしといて! とにかく、これ以上の議論は無意味! 行ってきます!」
 私はそう断言して、マンホールに潜ります。ももせの呆れ顔に見送られながら、美少女ちゃんと一緒に地下へと下りました。