この記事は学校教育への批判ではなく、何かのコンテンツ(特に文章)を世に出すときのマインドセット(考え方)の話です。
 ブログでもツイッターでも、公に発表する文章を書くとき、「学校の作文」を書いているような気分になるときがあります。どういう気分かというと、前向きで正しくて当たり障りのない内容しか書いてはならない、という強迫観念です。それに反するとペナルティを受けるぞ、と、自分の心の中の「教師」に脅されているような気分さえ覚えます。
 しかし実際には、人間少しくらい後ろ向きな本音を言わないと辛いですし、自分にとっての「正論」が他人にとっても「正しい」とは限りません。それに何よりも、「尖った」ことを言わなければ、誰の心にも刺さりません。
 同じようなことは、すでに何度も言われていると思います。自分自身、そうしたことを意識した上で、ネットに何度も自分の言葉を発してきたつもりです。しかし、何かを世に出すときの精神的なブレーキの一つについて、自分の言葉で言語化できたと思います。よってそれを、今ここで公開させていただきます。


※二〇一八年八月十六日、タイトルを修正しました。

「やればできる」的な言い訳をするようで情けないのですが、自分の頭の中には、ブログのネタになりそうな思考が毎日いろいろ浮かんできています。
 それでは、なぜ今までずっとブログをさぼってきたのかというと、理由の一つに「毎日更新する」という覚悟を決めていなかったことがあります。そしてもう一つの理由として、頭の中身をアウトプットする「回路」がさび付いていたことがあるのでは、と思います。
 自分は毎朝運動しているのですが、それをサボると、その後一日中、全身の筋肉に汚れが溜まったような感覚につきまとわれ、気持ち悪くなります。
 それと似たような感じで、自分の考えのアウトプットを習慣化していないと、そのための回路がすぐにさび付いてしまうのでは、と思います。もう少し噛み砕いて言うと、ブログのネタになりそうな思考が浮かんできても、それが実際の行動、つまりブログ記事の作成に結びつかなくなるのです。その行動のほうを習慣化して初めて、日々の考えを発信する回路の調子が整う気がしています。
 もしかしたら、本当にネタ切れしたり、あるいはただ面倒になったりして、またブログをサボり出す日がそのうち来るかもしれません。しかし今は、ブログを書き続けるためのヒントをせっかく言語化できたので、公開させていただきます。

 今年のGWが終わってもう二週間経ちますが、その間自分はずっと、自宅から歩いていける範囲にしか行っていません。普段から引きこもりがちですが、最近悪化しています。
 ツイッターには先日書きましたが、はしか感染を避けるためです。予防接種は受けましたし、自分の住んでいる地域で流行しているという情報は目にしていませんが、それでも抗体が十分にできるには時間がかかるらしいので、その前に外出して大丈夫か? という懸念はあります……。
 その引きこもり状態で、精神的なストレスも結構かかりましたが、そちらについては「峠を越した」感覚があります。しかし、外を歩かないと足(または脚)が痛くなりやすい、という別の問題があります……。
 自分は毎朝の運動で、なるべく「脱力して力の流れに身を任せる」身体の使い方を訓練しています。しかし、室内での運動ばかり行うと、「ブレーキをかける」癖が脚についてしまうようです。具体的に言うと、足首やふくらはぎや太ももの前面などが力みがちになって、スムーズに歩きづらくなります……。
「力の流れに身を任せる」動き方をしたければ、散歩などの「移動する」運動もしたほうがいいと感じています。それに、やはり精神的にも、引きこもり状態にいくら慣れても、創作のアイディアが広がりにくいのでは? と思います。
 割ととりとめなく書きましたが、要するにビビりすぎず外出したほうが心にも身体にもいい、という結論でこの記事を結びます。