前回地底に潜ってから、もう一週間ほどサインが現れていなかったので、
「何もなさ過ぎて、逆にサインが心配だ! ちょっと様子を見てくる!」
 下校中、例のマンホールのそばを通ったとき、私はももせに宣言しました。
「……とか言いつつ、本当はあんたがその、サインって子に会いたいだけじゃないの? そんな準備万端で」
 確かに、ももせの言う通りです。私はこの一週間、汚れてもいいジャージ姿で登下校していました。またアツパーユに行っても、制服を汚さないためです。おまけに、一晩過ごすことを想定して、身体を拭くためのウェットシートと、持ち歩きやすい栄養食品も用意しています。つまり、サインに会いに行く準備はばっちりだったので、
「それは否定しない! というわけで行ってくる!」
 蓋をずらして、誰もいないマンホールに潜るのでした。
「今回は早く戻ってきなよ! この前、あんたが帰らないのをおばさんにごまかすの、大変だったんだから!」
 ぷりぷりと怒る、ももせの声に追いかけられながら。


 隠し扉をくぐってすぐの、あの大広間に入ると、そこは大勢の人が集まって騒がしくなっていました。その一角には、金のショートヘアとロングスカートのワンピース姿の女の子、ムリラ・スカベンジャーがいて、彼女から数メートル離れたところには銀のロングヘアと作業着姿の女の子、サイン・フォンドゥ・アツパーユがいます。さらにムリラの足元には、サインのお父さんである王様がはいつくばっていました。
「ふはははは! 王の座を私に譲るがよい、国王、そしてサインよ! 我がスカベンジャー家が代々秘めていたこの核弾頭で、国のすべてを吹き飛ばされたくなくばな! 手始めに服従の証として、大勢の国民の前で靴を舐めてもらおうか!」
 どうもそのパフォーマンスのために、ムリラはサインや王様や他の「国民」たちをここに呼び集めたようです。
 彼女の手元には、バスケットボールほどの大きさの、丸っこい塊がありました。しかし、ぼこぼこの金属板で覆われた表面が、どうにも手作り感を漂わせています。駄目押しするように「核 危険」と手書きされた文字も、ある種の哀愁すら感じさせました。
 それが核弾頭だと真面目に信じているらしく、広間に集まった人々やサインは、みんなその顔に戦慄を浮かべています。
 しかし王様だけは、
「父として、王として、情けない姿を見せることを許してくれ、サイン……! これは民を守るためなのだ……!」
 などと言い訳してから、舌を出してムリラの靴に口を近づけていきます。よく見たらはあはあと息を荒げていて、ムリラに屈服させられかけているこの状況を楽しんでいるのは明らかです。つくづく変な趣味のある人ですね。
「お父様……!」
 サインが、見たくない、と言うように両手で顔を覆ったので、
「やめろ!」
 私は、ムリラと王様の両方に向けて叫びながら、
 だだだだだっ! ばきっ!
 ムリラに駆け寄り、驚きを顔に浮かべた彼女を問答無用で殴り倒します。その際、ムリラの「ぐはぁ!」という悲鳴とほぼ同時に、王様の「ちぇっ」という残念そうな舌打ちが聞こえました。
 ムリラが倒れながら取り落とした「核弾頭」は、地面に落ちるなり外側の金属板をばらけさせて、中に入っていたただの岩をさらけ出しました。


 今回は脱走したのがムリラ一人だけだったので、おそらく今までで最短で、彼女の反乱が片付きました。ムリラ曰く、今回は獄中でじっくり作戦を練っていたそうなのですが、それがあのずさんな脅迫だとは……。
 ともかく、ムリラを牢屋に入れて、もともとの用件のため、つまりサインに会うために玉座の間に行くと、
「未来……! 今回も、また助けられました……! 何とお礼していいやら……!」
 ぎゅーっ!
 感涙したサインに、抱き着かれました。私は少し困惑しながらも、彼女を抱きしめ返します。
「あ、ああ……。別に、お礼とかいいよ。今回も大したことなかったし……。それに、私もサインに会いたかったしさ」
「私も……! 未来に、会いたかったのです……! ですが、王女として、先日のように私用で国を出ることはあまり繰り返せなくて……! それなのに今回、未来は私が困っているときに、ちょうど現れてくれて……! あなたは、私の英雄です……!」
「…………」
 サインの中で、すっかり白馬の王子様になっちゃったなぁ。そういう感慨を覚えながら、私はサインを落ち着かせるために、彼女の背中をさすります。
「そうだね……。じゃあまた、泊まろうか? しばらく来なかった分の埋め合わせにさ」
「はい! 今度は、我が国の歴史についてじっくりお話ししますね!」
 サインは私から身体を離して、手を握ってきます。
「ああ、それよりも今は……。女の子同士の話を、したい気分かな」
 私は丁重にお断りしながらも、サインの手を握り返しました。その温かさを、いつまでも忘れたくない、と思いました。
 そして、それをにやにやしながら見ている王様のいやらしい目つきは、今すぐ忘れてしまいたい、と思いました。

「怖かった……。本当に怖かった……」
 先日の恐怖体験から、さらに三日後。私はももせと下校しながら、自分の身体を抱きしめて震えていました。
「まだ言ってる……。もうそんな変なところ、行っちゃ駄目だって。ほっときな」
 私の隣で、ももせは呆れ顔とともに肩をすくめます。
 そのとき、ちょうど私たちは例のマンホールのそばを通りかかっていて、
「そうするかな。今度は、あの蓋が動いてても――」
 私がそう言いかけたとき、ちょうどそれは動いていました。しかし――
 かたん……。かたん……。かたん…。
 サインが来たという合図――マンホールの蓋の上下動が、
「やけに弱々しいな……。やっぱり気になるよ、ももせ」
「ああもう……。どうなっても知らないよ、あたしは」
 そして、再び私が蓋をずらすと、
「未来……。助けて、ください……」
 その姿が見えるなり、サインは消え入るような声を漏らしました。私を見上げる、捨てられた子犬のような両目の下には、立派なくまができています。
 彼女のやつれた姿を見て、私の心臓が飛び上がりました。
「ど、どうしたの、サイン? ムリラに何かひどいことされた?」
「いえ……。警備を強化したので、彼女は現在も獄中ですが……。ここ数日、就寝時間になっても、さみしくて眠れないのです……。今まで、こんなことなかったのに……。恥ずかしながら、未来が一緒にいてくれたら、眠れるのではないかと思ったのです……」
 そう語る途中で、サインの目にはじわりと涙がにじんでいきます。一方で、私の後ろからは、ももせが「未来。駄目だって」とささやきながら袖を引っ張ってきます。
 数秒間、足元のサインに「未来……?」と名前を呼ばれたり、後ろのももせからも「未来!」と呼ばれたりして、動けない状態が続いてから、
「ああもうずるいなぁ! そんなマジ泣きされちゃほっとけないじゃん!」
 私は髪をわしゃわしゃとかき回しながら、サインへの敗北宣言をするのでした。それを聞いた王女様の顔が、ぱっと輝きます。
 というわけで、「困った女の子をほっとけないなんて、ラノベ主人公か!」というももせの突っ込みを受けながら、私はサインとともにマンホールに潜りました。


「国民に範を示す王女として、情けない限りなのですが……。最近、布団に入っても不安ばかりが頭の中でぐるぐると渦巻いて、寝付けないのです。今まで、こんなことなかったのに……」
 そう言いながら下水道を歩くサインの足取りは、明らかにふらついています。
「ああ、眠れない時って、そういうことあるよね。ちなみに、どんな不安があるの? よかったら聞かせて」
 私がそう聞くと、少し間をおいてから、
「……未来の、ことです」
 恥ずかしそうに、小声でサインは答えました。
「わ、私の?」
「はい。最初に来た時も、この前来た時も、地上のことを優先して帰られていたようなので……。もう二度とあなたがアツパーユに来ることはないのではないか、そう思うと、胸が張り裂けそうな思いがするのです。同い年の友達ができたのは、初めてですから……」
「…………」
 たった二回会っただけで、えらく好かれたなぁ。そう思いつつも、嬉しくないといえば嘘になるので、
「えい!」
 私は、狭い通路で強引にサインと肩を組みました。「み、未来?」と戸惑いの声を上げる彼女に、
「寵愛をお受けすることができ、光栄です王女殿下! 一晩ご一緒せよとの件、快く承りました!」
 正しいかどうかは分からない敬語で、きざなセリフを吐くのでした。それに応えて、
「未来……」
 サインもまた、ほっとした声を漏らしました。


 アツパーユに入った後、ちょうど食事の時間だったらしく、また食べていくことを勧められて――その食事は、ある意味一生忘れられないものになりました。木の根やミミズや土の料理のみならず、めったに食べられないごちそうだという、ネズミの丸焼きのインパクトが強烈です。次に来るときは、ちゃんと食料を用意してくるべきだと、私は学習しました。
 その後、玉座の間の隣のサインの寝室で、お風呂がないので簡単に身体を拭いて、用意してもらっていた寝巻に着替えると、
「看守を交代制にして、警備が途切れぬようにしたのは誉めてやろう! だが睡眠不足で居眠りするものが出たのは失敗だったな! サイン、今度こそ私に服従――」
 ムリラたちが、取り巻き四、五人ほど(今回は、それくらいしか逃がせなかったようです)と一緒に元気よくわめきながら玉座の間まで攻めてきたので、
「うるさい寝かせろ」
 ごんばきどかごすっ。
 私は彼女らをさっさと片付けて、あくびを一つしてから、寝室に戻りました。


「誰かと一緒に寝るのは、久しぶりで、その……。粗相のないように気を付けますので、よろしくお願いします、未来……」
 ベッドに正座してもじもじするサインは、明らかに緊張していました。私は図々しくベッドに潜りこんで、どさりと仰向けになってから、
「そんな遠慮しなくていいんだよ! ここの主はサインなんだからさ!」
 彼女に気を使わせないように、頭の後ろで両手を組んで思い切りくつろぎました。ほっとしたように微笑んだサインが私の隣に寝て、二人で一緒に掛け布団を被ります。
 ランプに淡く照らされた、薄暗い部屋で、
「そう言えば、この前我が国の建国神話について話しそびれたので……。寝るまでの間に、お話してもいいですか? 未来……」
「あ、ああ……。今はそれより聞きたいことがあるから、次の機会にゆっくりと聞かせてもらうよ」
 私はサインの申し出を、丁重に断ってから、
「……私はときどき、あの地上の友達、ももせのところにお泊りするけど……。サインにとって、誰かと一緒に寝るのは、どれくらい久しぶりなの?」
 そう尋ねました。
「そうですね……。小さい頃は、お母様が一緒に寝てくださったのですが……。もうよく覚えていないくらい、昔のことです」
「そっか……。お母さんを早くに亡くして、辛かったね……」
 私はサインのさみしい思いを察したつもりで、ベッドの中で彼女の手を握ったのですが、
「いいえ、お母様はまだ、ご存命なのですが……。ただその……。私を愛でてくださるお母様の姿と、甘える私の姿を見るお父様が、何と言うか、妙に興奮されたご様子で……。それを気味悪く感じられたお母様は、お父様と離婚して一般の人になられたのです」
「…………」
 彼女が返した答えに、言葉を失いました。そう言えばあの王様は、以前サインが私にお礼を言っていた時もいやらしい目つきをしていた気がしますが、自分の娘で百合妄想する趣味でもあるのでしょうか。どうもこの国、変な趣味の人が多い気がします。
「ま、まあとにかく、それはそれで辛いよね……。私なんかでよかったら、さみしいときに呼んでもらえると嬉しいかな……」
「はい……。これからも、よろしく……。お願い……します……。未来……」
 サインはそう途切れ途切れに口にして、私の手を握り返してから、すーすーと寝息を立て始めました。
 彼女と手を握り合ったまま、その安らかな寝顔を見ていると、私にもすぐに眠気が襲ってきました。


 数時間後、地上では朝になっている時間に目覚めると、寝室のドアの隙間から王様のいやらしい目がのぞいていて鳥肌が立ったのですが、それはまた別の話です。

「がっかりだよ……。本当にがっかりだ……」
「まだ言ってる……」
 あの地底での「冒険」から、二日後。私はももせと一緒に下校しながら、彼女に愚痴っていました。
「だってだって! 『かっこよくチート能力で大暴れー!』とかもできなくて! ちょっと日帰りで虚弱な奴らやっつけてきただけなんだよ! おまけに服を汚してお母さんに怒られたし! 損しかしてない!」
 私が駄々っ子のように地団太を踏むと、
「まあとにかく、未来が特に怪我もせず、その日のうちに無事に帰ってこれてよかったじゃん。あたしたちの足元に、そんな変な『国』があるのはちょっと気味悪いけど……」
 ももせも、私が話した「冒険」のこと、特にムリラと取り巻きたちのくだりを思い出したのか、顔をしかめながら地面に目を落としました。
「確かに、人口に対して、その……変な趣味の奴の割合が高すぎる気はする。だけど……」
 そこまで話すと、サインと出会った場所のそばを通りかかりました。彼女が現れたマンホールに目を向けながら、
「……サインの国を、その一部しか知らないで馬鹿にしたくはないなぁ」
 そう語っていると、
 かたかた。かたかた。かたかた。
「ん?」
 例のマンホールの蓋が、また小さく動いていました。
「もしかして、またサインかな……。よいしょっと」
 私がそこに歩み寄り、蓋をずらすと、案の定その中にいました。銀のロングヘアにエメラルドグリーンの瞳を持ち、作業着に身を包んだ美少女、サイン・フォンドゥ・アツパーユが。
「未来! 助けてください!」
 彼女は私と目が合うなり、悲痛な声を上げます。
「どうしたの? 今度は他の奴が反乱したの?」
「いいえ、またムリラが……。詳しくは道中で話します! また、お願いできますか?」
 そう言って、うるうると瞳を揺らすサインを見ては、放ってはおけません。よって、
「仕方ないなぁ……。そうだ、ちょうどサインの国のことを、もう少し知りたいと思ってたんだ。今度はもうちょっと速く片付けるから、案内してくれる?」
 そう提案すると、不安げだったサインの顔がぱっと輝きました。
「ええ、ぜひとも! ありがとうございます、未来!」
「よし! じゃー行ってくるねー、ももせ」
 私はサインに笑顔を返し、ももせに手を振ってから、マンホールに入りました。
「デートに誘うナンパ男かよ……。まあいいや、行ってきな」
 ため息交じりに手を振るももせに見送られて、私は地下へ下りました。


「それにしても、ムリラずいぶん早く逆襲してきたね。この前捕まえたばかりでしょ?」
 サインと一緒に下水道を歩きながら、私は聞きました。
「ええ……。看守の就寝時間を突かれました……」
「ちょ、ちょっと待って。交代制で二十四時間見張ってたりしないの?」
「何を言っているのですか、未来? 我が国では、国民みなが規則正しく生活しています。休む時はみんなが休みます。それは公職の人間でも例外ではありません。健康が第一です」
「そ、そう……」
 どこから突っ込んでいいやら分からない彼女の答えに肩を落としつつも、私は質問を続けます。
「そ、それでもさ。牢屋に鍵とか、かけてないの?」
「鍵ですか? ……そう言えば、ずいぶん前に壊れてから、そのままだと聞いています。それでも脱走すれば、すぐに他の国民が気づくと思っていたのですが……。脱走してすぐに、仲間たちも逃がして素早く勢力を結集したムリラのほうが、一枚も二枚も上手でした……」
「…………」
 ムリラたち以外のアツパーユ人たちも、怠け者すぎるのでは。そんな突っ込みを封印しつつも、私は開いた口がふさがらない気持ちを覚えました。


 とにかく、下水道からアツパーユ王国に入ると、また先日のようにムリラが大広間で取り巻きたちを従えてくつろいでいて、
「むっ! やはり戻ってきたかサイン! そしてまた来たかよそ者よ! 貴様の言う通り、生きていればやり直せるものだな! 私を再び決起させたこと、存分に後悔ーー」
 ムリラが何やら、私に責任転嫁するセリフをほざき出したので、
「うるさい」
 どかばきべきぐしゃ。
 私はさっさと取り巻きたちとムリラを殴り倒して、黙らせました。その後残った敵を片付けましたが、彼らが弱いことを知っていたので、今回の反乱の鎮圧には十分もかかりませんでした。


「今回も、ありがとうございました! 未来!」
 玉座の間で、サインは私の手を両手で握って、ぶんぶんと上下に振っていました。
「うん、まあ……。次はムリラたちが脱走しないように、気を付けなよ……」
 私が苦笑いしながら応じると、サインは「善処します!」といい返事をします。そして、
 ぐぅー……。
 彼女のお腹からも、胃袋の鳴くいい音がしました。
「えっと、お父様……。そろそろ、食料調達の時間です。ちょうど未来に、アツパーユを案内する約束をしていたので、彼女も連れて行っていいでしょう?」
 サインがそう問うと、王様は二つ返事で了承しました。
 そう言えばーーただでさえ太陽が差さず、今何時なのかが分かりにくいアツパーユで、今のところ時計のたぐいを見たことがありません。それでもさっき、サインが「食料調達の時間」を告げたということは、
「もしかして、この国の時計って、王族の腹時計……。つまり、サインたちがお腹すく時間を基準に、国民の生活リズムを決めてたりする?」
 私が聞くと、サインは顔を真っ赤にしながらうなずきました。


「皆さん、食料調達のお時間です。各自、作業に移ってください」
 サインが呼びかけて回ると、コンクリートだらけの空間で寝転がっていた大人たちが起き上がったり、鬼ごっこか何かをして遊んでいた子供たちがそれぞれの親たちのもとに戻ったりします。
 そして、おそらくは家族単位でまとまって移動していきました。サインと私もついて行くと、ある人たちは、上のコンクリートのひび割れから侵入してきている木の根を、刃物でこそげ落としていきます。ある人たちは、部屋や通路の隅に生えているキノコを採ります。ある人たちは、作りかけらしい通路が途切れて、土がむき出しのところを掘ってミミズを捕まえたり――さらには、土そのものを持参の鍋や布袋に入れたりしています。
「国民」たちがそうした作業に取り掛かるのは、常にサインに呼びかけられてからで、それまで彼らは基本的にごろごろしたり遊んだりしているようです。
「ねえサイン。アツパーユの人たちって、その……。普段の仕事、何してるの?」
 私が問うと、サインは首をかしげます。
「普段の仕事……? ご覧の通り、彼ら自身のための食料調達が仕事ですが」
「そ、そう……。それ以外の時は、何してるの?」
「それ以外、ですか? 基本的には休息したり、元気があれば遊んだりしていますね。人間は、生きるための必要最低限の仕事さえしていればいいのです。それ以上、何の労苦が必要なのですか?」
 サインの言葉を聞いて、私は複雑な気持ちになりました。ブラック企業がどうの過労死がどうのと騒ぎつつも、彼らよりずっと豊かな生活をしている地上の人間として。なので、
「……なんかその、私が悪かった。これはこれで、人間らしい生活だよね」
「何を謝っているのですか?」
 サインに首を傾げられながらも、彼女らの生活を肯定するのでした。


 私とサインが「国」を歩き回ったのは十分ほどで、その間サインが声をかけた、おそらく「国民」全員の人数は三百人ほどでしょうか。やはり小さな「国」のようです。
 食料調達の後、あの大広間に王様やサインや、私に興味を持った国民たちが集まって、食事会が開かれることになりました。この前はさっさと帰ってしまった英雄、つまり私を改めて歓迎するためだそうです。
 鍋でじっくり、おそらく食べられる柔らかさになるまで煮込まれている木の根や、ワイルドにたき火で串焼きにされているミミズ、一口サイズの団子の形に握り固められていく土などを見て、私は「ごめんなさい今お腹減ってないです本当です勘弁してください」と、食事会を丁重に辞退しました。
 しょげるサインの姿に胸が痛んだので、私は気をまぎらわすために、あたりをきょろきょろします。目に入るのは、のんびりと料理を作る人々の姿と、彼らがいる空間、つまりコンクリートの床や壁や天井や柱でできた大広間です。そう言えば、アツパーユの「国」じゅうが、広さは違っても同じようなコンクリート張りの空間だらけでした。
 昔、大きな戦争があったときに、こういう施設が作られたということは知っています。つまり、この「国」は、戦争からの復興が始まったときに、働きたくない人たちが住み着いただけの場所なのではないでしょうか。あの自堕落な国民たちを見ていると、そう感じます。おそらく「王家」とは、その中でも仕切りたがった、比較的真面目な一族なのでしょう。
 顔立ちや、日本語を話していることから、国民みんな祖先は日本人だと思われます。それでもサインやムリラのように銀髪や金髪になる人がいるのは、何世代も日光を浴びていないために色素が薄くなっているからでしょう。
 おそらくこの「国」の歴史は、せいぜい七十年、世代で言えば三、四世代程度です。
 そこまで考えをまとめて、私は口を開きましたが、
「ねえサイン。アツパーユの歴史について、ちょっと聞きた――」
「歴史」まで口にしたあたりで、横から聞いていた王様が反応して、
「我が国は、五百年の歴史を誇る由緒正しき国だよ、英雄さん」
 いきなり話に割り込んできました。彼が「なあサイン?」と問いかけると、
「はい、お父様。我が国は、五百年の歴史を誇る由緒正しき国ですよ、未来」
 サインもまた、怖いくらい曇りない笑顔を私に向けてきます。彼女が「そうですよね、皆さん?」と問いかけると、
「「「「「はい、お姫様。我が国は、五百年の歴史を誇る由緒正しき国です、英雄さん」」」」」
「国民」たちの大合唱が、大広間を満たしました。まだアツパーユの歴史について、私自身はほとんど何も言っていないのに、一糸乱れぬ彼らの主張ぶりが怖いです。あまりの恐怖に、私の奥歯ががたがたと鳴りました。
「そうだ未来! 夕食をごちそうできない代わりに、せめて我が国の歴史について、もう少し教えたいです。まずは建国神話から――」
 胸元で両拳を握り、満面の笑顔を浮かべるサインに対し、
「ご、ごめんねサイン! 今度聞かせて! また用事思い出しちゃったから、帰る!」
 私はがくがくと震える両脚にむち打って、転がるように大広間の出口に走り、恐怖の空間を脱出しました。