今朝大阪で起こった地震のことを昼頃にツイッターで知り、昼食と休憩を挟んで考えがまとまったので、急きょ記事を書きます。


 昨日の群馬での地震の次に、今日大阪でも大地震が起きたので、自分は戦慄しました。次は自分のところで、死者が出たり生活が崩壊したりするレベルの大地震が起きるのではないか、と。
 しかし、不謹慎を承知で申し上げると、遠くで起こったことなので、当分自分のところは大丈夫だろう、という安堵も覚えました。この機会に明かさせていただきますが、自分は長崎に住んでいるからです。
 どちらの気持ちも、正しいのではないか、と思います。遠くの災害を自分のことのように捉えることで、自分に同じことが襲ってきたときに備える意識が高まります。しかし、常に災害に怯えていては、日々の生活を楽しんだり仕事に集中したりできなくなります。
 よって自分は、いざというときのために、非常食などを買い直そうと思います。その上で、災害のリスクのことは悪く言えばいったん忘れて、また普段の生活に戻ろうと思います。


 今回の地震で亡くなられた方たちのご冥福と、まだ生存されている方たちのご無事をお祈りいたします。

 昨日、役所に行ってマイナンバーカードを受け取りました。
 そして今、日本という国の将来について少し悲観しています……。


 自分は、街中の証明写真機からウェブ申請→交付場所が書かれたはがきを郵送で受け取る→役所に行ってカードを受け取る、という流れで交付を受けました。せめてどうにかして、役所に一度行くだけでカードを作ってもらえる仕組みにしてくれたほうが、効率がいいのでは、と思います。
 ここには詳しく書きませんが、受け取る手続きの中で、他にも無駄な時間やコストがかかっていそうだ、と感じる部分はありました。行政の無駄の一端を垣間見た気分です……。
 日本人の一人として、日本「人」の可能性を信じたい気持ちはあります。しかし、このまま無駄の多い行政を続けていれば、日本「国」の政府の破綻は遠くないのでは? という危機感を持ちました。よって役所から帰るバスの中で、日本政府が財政破綻したらエストニア(政府の電子化を積極的に進めている国。同国内に居住していなくても、ネット上で「国民」になれます)の「国民」になろうか、という選択肢を考えました。そちらはそちらで、手間がかかるらしいですが……。


 もちろん、国家としての日本が持ち直すのなら、それに越したことはありません。しかし、その逆になった場合の自衛策も考えるべきでは? と思うようになりました。その危機感を、少しでも共有していただければ幸いです。

 この記事は学校教育への批判ではなく、何かのコンテンツ(特に文章)を世に出すときのマインドセット(考え方)の話です。
 ブログでもツイッターでも、公に発表する文章を書くとき、「学校の作文」を書いているような気分になるときがあります。どういう気分かというと、前向きで正しくて当たり障りのない内容しか書いてはならない、という強迫観念です。それに反するとペナルティを受けるぞ、と、自分の心の中の「教師」に脅されているような気分さえ覚えます。
 しかし実際には、人間少しくらい後ろ向きな本音を言わないと辛いですし、自分にとっての「正論」が他人にとっても「正しい」とは限りません。それに何よりも、「尖った」ことを言わなければ、誰の心にも刺さりません。
 同じようなことは、すでに何度も言われていると思います。自分自身、そうしたことを意識した上で、ネットに何度も自分の言葉を発してきたつもりです。しかし、何かを世に出すときの精神的なブレーキの一つについて、自分の言葉で言語化できたと思います。よってそれを、今ここで公開させていただきます。