ネットにあふれている「テレビはくだらない」という批判の、一歩先に進んだ話をしたいと思います。


 自分の両親はがっつりテレビ世代で、家でくつろいでいるときはほぼ常にテレビを見ています。どのチャンネルでも嫌な話題ばかりのワイドショーや、似たような内容のバラエティ番組などをやっているときには、チャンネルをぱっぱと変えた挙句「面白いのがない」と愚痴ります。それでも彼らは、テレビを見ること自体は止めません。くだらない内容ばかりのときでも見続ける以上、はっきり言えば両親は、テレビに依存していると思います。
 しかし自分だって、テレビの代わりにネットに依存している節はあります。ツイッターにログインして、十分くらいでさくっとログアウトするつもりがだらだらと二~三十分見てしまったり、パソコンのシャットダウンを始めた直後流れるようにスマホを取り出して気になることを検索したり、夜寝る前でも、ついだらだらとスマホを見たりしてしまいます。そうしてネット依存に費やす時間は、両親がテレビ依存に費やす時間と同じくらいに、くだらないと思います。


 そこで思うのが、テレビもネットもいわば道具であり、それ自体に依存するのは危険である。だから、それらをあくまで、目的のための道具だと思ったほうがいい、ということです。テレビだって、ニュースの速報や、健康や生活などに関わる情報を得るためのメディアとして、まだ「使い」ようはあると思います(余談ですが、自分は「ガ〇テン!」の情報にはときどきお世話になっています)。ネットにしても、今それで収益を得て生活している人が何人もいるので、自分もその一人を目指している最中です。


 テレビにしてもネットにしても、単に「くだらない」依存対象にするか、道具として有意義に使うかはユーザー次第。それを常に覚えておきたいです。

 今朝大阪で起こった地震のことを昼頃にツイッターで知り、昼食と休憩を挟んで考えがまとまったので、急きょ記事を書きます。


 昨日の群馬での地震の次に、今日大阪でも大地震が起きたので、自分は戦慄しました。次は自分のところで、死者が出たり生活が崩壊したりするレベルの大地震が起きるのではないか、と。
 しかし、不謹慎を承知で申し上げると、遠くで起こったことなので、当分自分のところは大丈夫だろう、という安堵も覚えました。この機会に明かさせていただきますが、自分は長崎に住んでいるからです。
 どちらの気持ちも、正しいのではないか、と思います。遠くの災害を自分のことのように捉えることで、自分に同じことが襲ってきたときに備える意識が高まります。しかし、常に災害に怯えていては、日々の生活を楽しんだり仕事に集中したりできなくなります。
 よって自分は、いざというときのために、非常食などを買い直そうと思います。その上で、災害のリスクのことは悪く言えばいったん忘れて、また普段の生活に戻ろうと思います。


 今回の地震で亡くなられた方たちのご冥福と、まだ生存されている方たちのご無事をお祈りいたします。

 昨日、役所に行ってマイナンバーカードを受け取りました。
 そして今、日本という国の将来について少し悲観しています……。


 自分は、街中の証明写真機からウェブ申請→交付場所が書かれたはがきを郵送で受け取る→役所に行ってカードを受け取る、という流れで交付を受けました。せめてどうにかして、役所に一度行くだけでカードを作ってもらえる仕組みにしてくれたほうが、効率がいいのでは、と思います。
 ここには詳しく書きませんが、受け取る手続きの中で、他にも無駄な時間やコストがかかっていそうだ、と感じる部分はありました。行政の無駄の一端を垣間見た気分です……。
 日本人の一人として、日本「人」の可能性を信じたい気持ちはあります。しかし、このまま無駄の多い行政を続けていれば、日本「国」の政府の破綻は遠くないのでは? という危機感を持ちました。よって役所から帰るバスの中で、日本政府が財政破綻したらエストニア(政府の電子化を積極的に進めている国。同国内に居住していなくても、ネット上で「国民」になれます)の「国民」になろうか、という選択肢を考えました。そちらはそちらで、手間がかかるらしいですが……。


 もちろん、国家としての日本が持ち直すのなら、それに越したことはありません。しかし、その逆になった場合の自衛策も考えるべきでは? と思うようになりました。その危機感を、少しでも共有していただければ幸いです。